私、遠山美咲には、ちょっとした秘密がある。人の感情が「色」として見えるのだ。嬉しい時はキラキラした黄色、怒っている時は燃えるような赤、悲しい時は沈んだ藍色。街を歩けば、そこは様々な色が混ざり合う万華鏡のようで、正直、少し疲れる。
職場は特にそうだ。お世辞の薄っぺらいピンク、嫉妬の濁った緑、焦りのチカチカしたオレンジ。そんな色の洪水の中で、たった一人、例外がいた。営業部の黒田さんだ。
彼はいつも無表情で、何を考えているか全く読めない。「鉄仮面」というあだ名は伊達じゃない。そして、彼からはどんな色も見えないのだ。まるで、彼という存在だけが切り取られたかのように、いつも「無色透明」。感情がないのだろうか。そのせいで、私は彼が少し不気味だった。
その認識が覆ったのは、ある雨の日のこと。私が担当したプロジェクトで大きなミスが発覚し、上司に厳しく叱責された。デスクに戻ると、同情の薄い黄色や、呆れの淀んだ青が四方から飛んできて、泣き出しそうになるのを必死でこらえていた。
その時、ふと影が差した。見上げると、黒田さんが立っていた。いつもの無表情で、私のぐちゃぐちゃになった資料を拾い集めている。
「大丈夫か」
その声も平坦で、抑揚がない。どうせ彼も内心では……そう思った瞬間だった。
彼の周りに、ふわりと色が灯った。
それは、私が今まで見たことのない、どんな言葉でも表現できない色だった。燃えるような夕焼けのオレンジと、静かなオーロラの緑が溶け合い、そこに星屑のようなプラチナの煌めきが散りばめられている。暖かくて、切なくて、そして何よりも優しい、虹色の光。その光は、間違いなく私に向けられていた。
「え……?」
私が呆然と呟くと、彼は「これ」と資料を机に置き、すぐに踵を返して去っていく。彼の背中からは、もうあの色は見えなかった。いつもの「無色透明」な彼に戻っていた。
あの日以来、私の世界は黒田さんを中心に回り始めた。あの色は一体何だったんだろう? 気になって仕方がない私は、勇気を出して彼に話しかけるようになった。
「黒田さん、この前の資料、ありがとうございました!」
「……ああ」
無表情。無色透明。
会社の飲み会で、偶然隣の席になった。
「黒田さんって、お酒強いんですね」
「普通だ」
無表情。無色透明。
でも、諦めずに観察を続けていると、ほんの一瞬だけ、あの虹色が見えることに気づいた。私が仕事で褒められた時、彼が遠くからこちらを見ていて、その周りに虹色が瞬いた。私が他の男性社員と楽しそうに話していると、彼の背中にチリッと虹色の火花が散った。
どうやら、あの色は私に関連した時にだけ現れるらしい。そしてそれは、いつも彼のポーカーフェイスの裏側で、必死に抑え込まれているようだった。
ある日の残業帰り、駅までの道を二人きりで歩く機会が訪れた。沈黙が気まずくて、私は思い切って聞いてみた。
「黒田さんって、いつも何を考えているか全然わからなくて、ちょっとミステリアスですよね」
すると、彼はぴたりと足を止めた。驚いたように少しだけ目を見開いている。
「そうか? 俺は……自分の気持ちは、結構わかりやすく表に出してるつもりだったんだが」
「え?」
「特に、遠山さんの前では」
そう言って、彼は私に向き直った。その瞬間、世界が色で爆発した。
彼の全身から、あの虹色の光が、今までで一番強く、鮮やかに溢れ出したのだ。それはもうオーラなんて生易しいものじゃない。光の奔流が私を包み込み、冷えた夜の空気を暖かく染め上げていく。
「俺は、君が笑うと嬉しいし、君が落ち込んでいると心配になる。他の男と話していると、胸がザワザワする」
彼の口から紡がれる言葉の一つ一つが、虹色の輝きを増していく。
「この気持ちを、世間ではなんて言うんだったか」
ポーカーフェイスをわずかに崩し、彼は照れたように笑った。その笑顔は、虹色の光の中で何よりも輝いて見えた。
ああ、そうか。この色は、「恋」の色なんだ。
そして、彼が普段「無色」だった理由もわかった。彼は自分の感情を律するのが得意で、いつも無意識に感情の色を抑制していたのだ。でも、私への想いだけは、その鉄壁のポーカーフェイスですら抑えきれずに、溢れ出てしまっていたんだ。
「私も……」
私は、目の前の眩い光を見つめて言った。
「私も、黒田さんのその色が、大好きです」
その瞬間、自分の中から、まったく同じ虹色の光が湧き上がるのがわかった。私の色と彼の-色が混じり合い、世界は今までで一番、鮮やかで美しい光に満ちていた。
虹色ポーカーフェイス
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