鋼鉄の心臓と空の島

鋼鉄の心臓と空の島

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空に浮かぶ島々が世界のすべてだった。人々は雲海を渡る飛行艇を駆り、島から島へと交易をして暮らしている。機関士の少女リナが住むのは、歯車と蒸気の街「ギアフロート」。彼女の夢はただ一つ、亡き祖父が遺した設計図だけの存在、鋼鉄の竜「ヴォルカヌス」を完成させることだった。

「リナ、本当にやるのかい? あの『テンペスト・ヴォイド』の先に、伝説の浮遊遺跡があるなんて、ただのおとぎ話さ」
工房の親方は、油の染みた布で手を拭きながら言った。リナはスパナを握りしめ、力強く頷く。
「おとぎ話じゃない。古文書に書いてあったもの。古代文明の遺産、『天穹の心臓(エーテルコア)』……それさえあれば、ヴォルカヌスは飛べる」

リナの背後には、巨大な竜の骨格が鎮座していた。まだ装甲も貼られていない、無骨な鋼の塊。だが、その頭部は天を衝くように高く、リナの夢の大きさを物語っていた。

相棒の小型オートマタ「ナット」の電子音を背に、リナは自慢の小型飛行艇「シルフィード号」に乗り込んだ。目指すは、凶暴な雷獣や竜巻が渦巻く禁忌の空域「テンペスト・ヴォイド」。その中心に、目的の浮遊遺跡「アトラスの揺り籠」は眠っているという。

雲海を切り裂き、シルフィード号は突き進む。やがて前方に、不気味に明滅する紫色の雲の壁が見えてきた。テンペスト・ヴォイドだ。
その時、警告音が鳴り響いた。
「ピポ! 後方ヨリ高速接近スル船影アリ!」
ナットの報告と同時に、船体が大きく揺れる。見れば、髑髏の旗を掲げた三隻の飛行艇がシルフィード号を取り囲んでいた。悪名高い空賊「スカイサーペント団」だ。

「そこの嬢ちゃん! 積荷を全部置いていきな! その中には『天穹の心臓』のありかを示す地図もあるんだろ?」
拡声器から響く下品な声に、リナは奥歯を噛んだ。どうやら情報が漏れていたらしい。
絶体絶命。しかし、リナの目は死んでいなかった。彼女の視線は、眼前に広がる雷雲に向けられていた。
「ナット、全エネルギーをブースターに回して! 狙うはあの雷雲の中心!」
「危険! 船体ガ分解シマス!」
「やるしかない!」

リナは操縦桿を握り、エネルギー計の針が危険領域を振り切るのも構わず、シルフィード号を雷雲へと突っ込ませた。空賊たちが呆気に取られている隙に、船は紫電の中へと消える。激しい衝撃と轟音。リナは意識を失いかけたが、次の瞬間、嘘のような静寂が訪れた。

シルフィード号は嵐の目を抜けていた。そして、目の前には信じがたい光景が広がっていた。
巨大な岩塊が空に浮かび、そこから幾筋もの滝が雲海へと流れ落ちている。岩の上には緑が茂り、水晶のような建造物が陽光を反射してきらめいていた。
「アトラスの揺り籠……!」

遺跡に降り立ったリナは、その美しさに息をのんだ。だが感傷に浸る暇はない。ナットのセンサーを頼りに遺跡の中心へ向かうと、そこには巨大なクリスタルの祭壇があり、その上で青白い光を心臓のように脈動させる球体が浮かんでいた。
「天穹の心臓……!」
リナが手を伸ばした、その時。ゴゴゴ、と地響きが起き、祭壇の周りの石像たちが動き出した。全長10メートルはあろうかという、古代の防衛ゴーレムだ。

赤い単眼がリナを捉え、岩の腕を振り上げる。リナはかろうじてそれを躱すが、シルフィード号は破壊され、逃げ場を失った。
「ピポ、ピポ! 危機的状況!」
追い詰められたリナの脳裏に、祖父の言葉が蘇る。『リナ、本当の機関士はな、ただ機械を直すだけじゃない。その魂の声を聞き、不可能を可能にするのさ』

リナは覚悟を決めた。シルフィード号に積んでいたヴォルカヌスのパーツへと走り、震える手で工具を握る。そして、ゴーレムの攻撃をかいくぐりながら、祭壇の「天穹の心臓」を掴み取った。
「ごめん、ヴォルカヌス! 未完成だけど、今、あなたに魂をあげる!」
リナは竜の胸部にある動力炉に、天穹の心臓を叩き込むように接続した。

瞬間、世界が光に包まれた。
「グォォォォオオオオオ!!!!」
空気を震わす、鋼鉄の咆哮。ヴォルカヌスの眼窩に蒼い光が灯り、その巨体がゆっくりと立ち上がる。リナはすぐさま首筋にあるコックピットに飛び乗った。

「行くよ、ヴォルカヌス!」
リナが叫ぶと、鋼鉄の竜は翼を広げ、空へと舞い上がった。ゴーレムもまた飛行形態へと変形し、後を追う。
古代の守護者と、現代に蘇った伝説の竜。空の遺跡を舞台にした、壮絶な戦いの火蓋が切って落とされた。
ゴーレムが放つ光線を、ヴォルカヌスはアクロバティックな飛行でかわす。リナは機関士としての知識を総動員し、エネルギーの逆流、関節部の瞬間冷却、翼のフラップを利用した急旋回など、設計図にもない動きを次々と引き出していく。
「いっけえええええ!」
ヴォルカヌスはゴーレムの懐に潜り込むと、その顎で光線の発射口を噛み砕いた。暴発したエネルギーがゴーレムの内部で連鎖爆発を起こし、古代の守護者は光の粒子となって霧散した。

静寂が戻る。しかし、勝利の代償は大きかった。天穹の心臓の強大すぎる力に耐えきれず、ヴォルカヌスの全身はひび割れ、翼も半壊していた。それでも、リナの顔には満面の笑みが浮かんでいた。
「飛んだ……。おじいちゃん、ヴォルカヌスが、本当に空を飛んだよ」

壊れた竜の首筋を優しく撫でながら、リナは空を見上げた。青く澄み渡った空が、どこまでも続いている。
「大丈夫。また私が、あなたを直してあげる。今度はもっと、もっとすごいやつにね」
その手には、まだ温かい光を放ち続ける「天穹の心臓」が握られていた。
リナと鋼鉄の竜の冒険は、まだ始まったばかりだった。

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