ネオンの涙が降り注ぐメガロポリス、東京。22世紀のこの街では、記憶すら商品だった。人々は辛い過去を売り、幸福な幻想を買う。俺はリョウ。そんな街の片隅で、失われた記憶を探し出す「メモリ・ハンター」として生きていた。
「この記憶を、探してください」
オフィスに現れた女、ミサキは震える手でデータチップを差し出した。豪奢なコートとは裏腹に、その瞳には深い絶望が澱んでいた。
依頼はありきたりなものだった。事故で失ったという、恋人との最後のデートの記憶。報酬は破格。だが、彼女の瞳の奥に、何か計算された冷たさを感じ取った俺は、一度は断ろうとした。
「彼との最後の思い出なんです。どんな代償を払ってでも……」
その言葉に、俺は自分の過去の断片を幻視した。誰かの手を、必死に掴もうとして、すり抜けていく感覚。気づけば、俺は依頼を引き受けていた。
調査は闇市場《ブラックマーケット》から始まった。記憶は生体データだ。違法に抽出されれば、必ず痕跡が残る。俺は情報屋を脅し上げ、やがて一本の線にたどり着いた。ミサキの記憶は、巨大複合企業「クロノス・ジェネティクス」のサーバーに吸い上げられている。
クロノス社。記憶技術のパイオニアにして、この世界の支配者。なぜ、一介の市民の記憶がそんな場所に? 嫌な予感が全身を駆け巡った。
俺は単身、クロノス社のデータバンクに潜入した。純白の壁と青い光で満たされたサーバーファームは、まるで神の聖域だ。警備ドローンをかいくぐり、目当てのデータを探し出す。
『ファイル名:Lost_Love_M33』
これだ。俺がデータにアクセスしようとした瞬間、けたたましい警報が鳴り響き、空間が赤い光に染まった。罠だ。
退路は封鎖され、俺の前に現れたのは、依頼人であるはずのミサキだった。彼女は冷たい笑みを浮かべ、手に持ったデバイスを俺に向けた。
「ようやく見つけたわ、被験体デルタ。あなたの“巣”に帰ってこられて、気分はどう?」
被験体デルタ? 訳が分からない。混乱する俺の脳に、ミサキが向けたデバイスから指向性のパルスが撃ち込まれた。激痛。頭蓋骨の内側で、何かがガラスのように砕け、そして再構築されていく。
溢れ出す、見知らぬ記憶。
白衣を着た俺。データが乱舞するホログラム。そして、目の前には泣きじゃくるミサキの姿。だが、その顔は絶望ではなく、恐怖に歪んでいた。
『やめろ、リョウ! そのデータは危険すぎる!』
『だが、このままじゃ奴らの思い通りだ。俺は、俺の記憶に真実を隠す』
『ダメ! 記憶の深層にそんなものを埋め込んだら、あなたはあなたでなくなってしまう!』
『必ず取り戻す。……必ず』
そうだ。俺はリョウ。クロノス・ジェネティクスの研究員だった。この会社の非人道的な記憶操作技術の、全てを知ってしまった。俺はその証拠データを、自分自身の記憶の奥深くに「思い出」という名の偽装を施して封印し、自ら記憶処理を施して逃亡したのだ。
ミサキは、俺を追うために派遣されたエージェント。彼女が依頼した「恋人との記憶」こそ、俺の記憶を解凍するための鍵《トリガー》だった。
「思い出したようね。さあ、大人しくその脳ごと会社に渡してもらうわ」
ミサキの背後から、武装した警備兵が現れる。
だが、遅かった。封印が解かれたことで、俺の脳は全てを取り戻していた。研究員としての知識だけではない。逃亡のために叩き込んだ、あらゆる戦闘技術をも。
俺は床を蹴り、警備兵の懐に飛び込む。関節を極め、銃を奪い、一瞬で無力化する。ミサキが驚愕に目を見開く。
「忘却は救いじゃない。それはただの逃避だ」
俺は奪った銃の照準を、データバンクの中枢に向けた。
「あんたたちが世界から奪った全ての記憶、そして俺が隠した真実。今、全てを解放する」
引き金を引いた。放たれたプラズマ弾がサーバーコアを破壊し、眩い光が弾ける。世界中のネットワークに、クロノス社の罪状と、奪われた人々の記憶が奔流となって流れ込んでいく。世界は、もう昨日のままではいられないだろう。
崩壊するデータバンクから脱出しながら、俺は東京の夜空を見上げた。降りしきるネオンの雨が、蘇った記憶の痛みと共に、俺の頬を濡らしていく。
全てを失い、全てを思い出した。
俺はもう、ただのメモリ・ハンターじゃない。
真実という名の、最後の記憶を取り戻した男だ。
夜の闇の中へ、俺は再び駆け出した。この世界が忘れてしまったものを取り戻すために。
ラスト・リコレクト
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