モニターに映し出される戦況は、絶望という二文字を朱色で塗りたくったような有様だった。
「神崎コマンダー! 第三機動部隊、壊滅! これで残存戦力は全体の8%を切りました!」
「敵主力部隊、我が司令部まで距離500! 到達まで推定120秒!」
オペレーターたちの悲鳴に似た報告が、司令室に響き渡る。国家間の紛争を血を流さずに解決するための代理戦争ゲーム、『アーク・ウォー』。その世界大会決勝戦で、日本代表の俺、神崎リョウは、伝説のコマンダー、ヴィクトル・”鉄槌”・イワノフが率いるユーラシア連合軍の前に、完璧なまでに追い詰められていた。
ヴィクトルの戦術は、巨大な鉄の網だ。データを緻密に編み上げ、確率という糸で補強されたその網は、いかなる奇策も、いかなる勇猛な突撃も、例外なく絡め捕り、無力化する。俺の繰り出す手はすべて読まれ、カウンターを食らい、今や司令部という名の王将に、チェックメイトがかかろうとしていた。
世界中の何億という視聴者が、固唾を飲んで日本の敗北を見守っているだろう。解説者も、もう俺を「若すぎた天才」と過去形で語り始めているに違いない。
「……万策、尽きたか」
隣の参謀が力なく呟く。だが、俺は諦めていなかった。諦めるという選択肢が、俺の思考回路にはインストールされていない。
「いや」俺は乾いた唇を舐めた。「まだだ。まだ、打つ手は一つだけある」
俺はユニットリストを猛烈な速さでスクロールし、一番下にある埃をかぶったような項目をタップした。
**【偵察用マイクロドローン Type-07 "スズメ"】**
それは、このゲームが始まった初期に設計された、あまりに非力で旧式なユニットだった。武装は皆無。偵察能力も最新鋭機に比べれば赤子の遊び。あまりの使えなさに、どの国のコマンダーもリストから削除しているほどの「産業廃棄物」。
「スズメ……? コマンダー、正気ですか! そんなものを出したところで、敵の対空レーザーの一舐めで蒸発します!」
「分かってる。だから、一羽じゃダメなんだ」
俺は残存する全エネルギーゲージを睨みつけ、決断した。
「全ユニットのエネルギー供給を停止! 残ったリソースをすべて、"スズメ"の生産に回せ! 目標、1000羽!」
司令室が凍りついた。「全滅を選ぶつもりか」「狂ったか」そんな声なき声が聞こえるようだ。だが、俺の目を見たオペレーターは、覚悟を決めたようにコンソールを叩いた。
モニターの隅で、小さな、本当に小さなドローンのアイコンが、凄ま지い勢いで増殖を始める。
ヴィクトルの司令室では、余裕の笑みが浮かんでいたことだろう。俺の最後の抵抗が、おもちゃのようなドローンの大量生産だと知れば、嘲笑すらしたかもしれない。
そして、運命の時が来た。
「"スズメ"全機、発進! 目標、敵司令部! フォーメーションは……『無秩序』だ!」
俺の号令で、1000羽の金属の鳥が一斉に飛び立った。それは統率の取れた編隊ではなく、まるでパニックに陥った鳥の群れ。四方八方に散り、不規則に飛び回る。
ヴィクトルの誇る鉄壁の自動防衛システムが火を吹いた。レーザーが空を薙ぎ、ミサイルが炸裂する。しかし、システムは困惑していた。
"スズメ"は一機一機があまりに小さく、低性能で、その動きは予測不能。高性能なAIは、効率的な迎撃パターンを計算しようとするが、対象が「無秩序」な群れであるため、最適解を導き出せない。システムが一体の"スズメ"に照準を合わせる間に、別の二十羽がその脇をすり抜けていく。
「どうだ、ヴィクトル! お前の完璧なシステムは、『完璧じゃないもの』を計算できるか?」
"スズメ"は虫ケラのように撃ち落とされていく。だが、その数はあまりに多い。一羽が囮になり、十羽が盾となり、百羽が道を作る。それは血の通わない機械の特攻だった。
ついに、ヴィクトルの鉄壁を突破した最後の一羽が、彼の司令部の装甲の隙間に滑り込んだ。それは換気口という、あまりに古典的な侵入経路だった。最新の防衛思想において、そんな場所は脅威として認識すらされていなかったのだ。
そして、その"スズメ"が、内蔵されていた微弱なEMPパルス――敵の電子機器をわずかにショートさせるだけの、嫌がらせ程度の機能――を放った。
本来なら、大した影響はないはずだった。だが、そのパルスが直撃したのは、ヴィクトルの司令システムと彼の脳を直結させる、最も繊細なインターフェースのコア部分だった。
**【SYSTEM ERROR】**
**【COMMANDER CONNECTION LOST】**
世界中のモニターに、その無慈悲な文字列が映し出された。
どよめき。沈黙。そして、数秒後、爆発的な大歓声が世界を揺るがした。
ルール上、コマンダーが指揮系統から切断されれば、その時点で敗北となる。俺の、日本の、奇跡的な逆転勝利が確定した瞬間だった。
ヘッドセットを外し、俺は大きく息を吐いた。勝利の興奮よりも、心地よい疲労感が全身を包む。
「どんなに巨大な鉄槌でも」俺はモニターの向こうの伝説に語りかけた。「小さなスズメの一刺しで、その手を止めることだってあるんだぜ」
窓の外では、本物のスズメが数羽、楽しそうに空を舞っていた。
スズメの一刺し
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