砂塵のオーケストラ

砂塵のオーケストラ

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セラフVの双子の太陽が地平線に灼熱の吐息を投げかける頃、俺たちの仕事は始まる。相棒のエマが淹れる苦い合成コーヒーをすすりながら、俺は愛機――旧式戦闘攻撃機『サラマンドラ』のコックピットで操縦桿を握っていた。

「リョウガ、右舷前方、三時の方角。小型の『歩哨(センチネル)』が三機。いつものお小遣い稼ぎよ」

インターコムから聞こえるエマの快活な声は、錆びついた戦場に咲く一輪の花のようだ。彼女は後部座席でナビゲーションと索敵、そして俺の尻拭いを担当する天才メカニックだ。

「了解。前奏曲(プレリュード)にはちょうどいい」

俺はスロットルを押し込んだ。サラマンドラが咆哮を上げ、砂漠の大地をなめるように加速する。眼下の『歩哨』は、大戦の遺物である蜘蛛型の自律兵器だ。プログラムされた憎悪に従い、動くものすべてを破壊する鉄屑の亡霊。

「いくぜ、エマ。今日の指揮者は俺だ!」

機関砲が火を噴き、不協和音のような金属音を奏でる。一機目の歩哨が火花を散らして沈黙。残る二機が素早く散開し、対空プラズマを撃ち返してきた。緑色の閃光がサラマンドラの脇を掠める。機体がガクンと揺れた。

「今の危なかったでしょ! もっと丁寧に踊りなさいよ、この単細胞パイロット!」
「うるさいな。ダンスってのは、これくらいスリリングな方が楽しいだろ?」

軽口を叩きながら、俺は機体を急反転させ、太陽を背にした。逆光で敵のセンサーを眩ませ、回り込むように降下する。歩哨の装甲の継ぎ目、エマがいつも言っている弱点を的確に撃ち抜くと、残りの二機も派手な爆発という名の喝采を上げて沈黙した。これが俺たち、兵器狩り(アーティファクト・ハンター)の日常だ。

その夜、キャラバン・シティの酒場でエールを呷っていると、壁のホログラム掲示板に新しい高額懸賞が映し出された。ざわめいていた場内が、水を打ったように静まり返る。

『対象:コードネーム“幽霊(ファントム)”』
『推定クラス:S級。超々弩級自律巡航戦艦』
『特徴:高出力光学迷彩、広域電子妨害(ジャミング)。目撃例多数、生還者ゼロ』
『懸賞金:一生遊んで暮らせる額』

居合わせたハンターたちが、青ざめた顔で囁き合う。
「幽霊だと……? あれは災害だ。兵器じゃない」
「関わった奴は全員、残骸すら見つからねえって話だ」

俺はグラスを置き、ニヤリと笑った。隣でナッツを頬張っていたエマが、俺の顔を見て眉をひそめる。
「……まさか、とは思うけど」
「なあ、エマ。最高のオーケストラだと思わないか? 最高の指揮者には、最高の舞台が必要だ」
「あんたのその命知らずなロマンチシズム、いつか身を滅ぼすわよ!」

彼女の抗議も無理はない。“幽霊”は、俺がまだ正規軍にいた頃、俺の小隊を壊滅させた元凶だった。仲間たちが次々と姿の見えない敵に食われ、俺一人が生き残ったあの悪夢。これは復讐じゃない。過去との決着だ。

エマは三日三晩、文句を言いながらもサラマンドラのチューンナップに付き合ってくれた。エンジンはリミッターを解除し、装甲の隙間には対電子兵装用の特殊なコーティング材を塗り込む。

「気休めにしかならないわよ。でも、あんたを死なせたくないから」

そう言って油に汚れた顔で笑う彼女に、俺は何も言えなかった。

決戦の地は「静寂の谷」。レーダーに映らない鉱物を含んだ岩壁が、天然のステルス空間を作り出す場所だ。“幽霊”が潜むには格好の狩場だった。谷に侵入した途端、凄まじいノイズがコックピットを劈いた。

「来たッ! 強力なジャミング! 全計器、沈黙!」

エマの悲鳴と同時に、レーダーも高度計も、すべての電子機器が意味不明な記号を明滅させるだけになった。完全な暗闇。だが、不思議と恐怖はなかった。俺は目を閉じ、操縦桿を握る手に意識を集中する。

「エマ、聞こえるか?」
「なんとか! でも、敵の位置が全く……!」
「いいや、聞こえる。あいつのエンジン音、金属がきしむ音、大気を揺らす威圧感……俺のサラマンドラが、肌で感じてる」

これが俺の特技であり、旧式機に乗り続ける理由――共振操縦(レゾナンス・ドライブ)。機体そのものを自らの感覚器官とする荒業だ。

突如、右手の皮膚が粟立った。
「右だ!」
機体を大きく左に傾けた瞬間、先ほどまで俺がいた空間を極太のレーザーが焼き尽くした。光学迷彩が解け、巨大な黒い影がその姿を現す。全長五百メートルはあろうかという、禍々しい戦艦。それが“幽霊”の正体だった。無数の砲塔が、まるで昆虫の複眼のようにこちらを睨んでいる。

「なんてデカさ……! フィナーレには申し分ないな!」
「冗談言ってる場合じゃない! あの主砲、食らったら一瞬で蒸発する!」

“幽霊”から放たれるミサイルの群れが、壮大な交響曲のフィナーレのように迫る。俺はサラマンドラと一体化し、その音符の隙間を縫うように踊った。急上昇、急降下、錐揉み回転。機体にかかるGが意識を奪いにかかるが、歯を食いしばって耐える。

「エマ! あいつのジャミングのパターンを読めないか! 一瞬でいい! 奴の心臓はどこだ!」
「無茶苦茶言うわね! ……でも、やってやる! あんたこそ、死なないでよ!」

エマが必死にコンソールを叩く。俺はその間、ひたすら死のダンスを続けた。“幽霊”の猛攻は、まるで意志を持っているかのように執拗だ。被弾した左翼から火花が散る。警報が虚しく鳴り響いていた。

「……見つけた!」

エマの声が響く。

「三秒後! ほんの一瞬だけ、ジャミングに指向性が生まれる! 狙いは艦橋直下のエネルギーコアよ!」

三秒。永遠のようにも、一瞬のようにも感じられた。
「三……」
“幽霊”の主砲がエネルギーを充填する光を放つ。
「二……」
俺は機首を真っ直ぐ“幽霊”に向け、全速で突っ込んだ。自殺行為だ。
「一……!」
エマが叫ぶと同時に、俺はサラマンドラに残された最後のミサイルを発射した。そして、操縦桿を限界まで引き、機体を垂直に上昇させる。

ミサイルは“幽霊”の分厚い装甲に阻まれる――かに見えた。だが、それは陽動だ。俺が本当に狙ったのは、ミサイルが着弾した衝撃で一瞬だけ開く、エネルギーコア直上の排熱口。主砲発射の瞬間にだけ開く、わずかな隙間。

上昇する俺の真下で、“幽霊”の主砲が火を噴いた。熱波が機体を焦がす。同時に、俺が放った機関砲の最後の一弾が、吸い込まれるように排熱口へと飛び込んでいった。

時が止まる。

やがて、“幽霊”の内部からくぐもった音が響き始め、それは次第に大きくなり、連鎖的な大爆発を引き起こした。巨大な鉄の亡霊が、自らの断末魔の咆哮の中で崩れ落ちていく。

ボロボロになったサラマンドラは、まるで燃え尽きた凧のように砂漠へと降下していった。なんとか不時着させると、俺はぐったりとシートに体を預けた。

「……終わったな」
「……ええ。最高の、フィナーレだったわね」

インターコム越しのエマの声は、少しだけ震えていた。

双子の太陽が地平線の向こうに沈み、空には満天の星が瞬き始める。大破した“幽霊”の残骸が燃えさかる光景は、まるで巨大な篝火のようだった。

俺たちは莫大な懸賞金を手に入れるだろう。だが、今はそんなことどうでもよかった。俺は過去の悪夢を打ち破り、エマは不可能を可能にした。そして、俺たちのサラマンドラは、今夜も最高の演奏を聴かせてくれた。

「さて、と」

俺はシートベルトを外し、立ち上がった。

「次の舞台を探しに行くか。もっと心躍る、新しいオーケストラを」

コックピットの向こうで、エマが呆れたように、でも、どこか嬉しそうに笑った気配がした。セラフVの夜は、まだ始まったばかりだ。

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