十三番目の鐘が鳴る時

十三番目の鐘が鳴る時

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全寮制エリート校「私立クロノス学園」には、古くから伝わる噂がある。
『中央時計塔の大時計が、真夜中に十三回、鐘を鳴らす時。たった一人だけ、時間を遡ることができる』
馬鹿げた与太話だ。俺、高槻蓮もそう思っていた。幼馴染で生徒会長の橘詩織が、あの事件に巻き込まれるまでは。

学園祭の最終日。学園の象徴である大聖堂のステンドグラス『時の万華鏡』が、何者かによって粉々に破壊された。そして、その傍らで詩織が血を流して倒れていた。犯人は闇に消え、彼女は意識不明の重体。輝かしい未来が約束されていたはずの彼女の時間が、そこで止まってしまった。
絶望の中、俺は藁にもすがる思いで、あの噂に賭けることにした。

学園祭の後片付けも終わった深夜。俺は警備の目を盗んで、時計塔に忍び込んだ。錆びた螺旋階段を駆け上がり、巨大な歯車が軋む機械室へ。固唾を飲んで文字盤の裏側を見つめる。
ゴーン……ゴーン……。
重く、荘厳な鐘の音が、静まり返った学園に響き渡る。心臓が張り裂けそうだ。十、十一、十二……。これで終わりか、と膝から崩れ落ちそうになった、その時。
――ゴォォンッ!
明らかに異質な、空間そのものを震わせるような十三回目の鐘が鳴った。瞬間、足元がぐにゃりと歪み、視界が七色の光で塗りつぶされる。意識が遠のいていく。

次に目を開けた時、俺は自室のベッドの上にいた。窓の外からは、喧騒と活気が流れ込んでくる。カレンダーの日付は、三日前。学園祭の初日だ。
「……戻ったのか」
震える手で頬をつねる。痛い。夢じゃない。
俺はベッドから飛び起きた。目的は一つ。詩織を救い、犯人を見つけ出すこと。未来を知っているのは、この学園で俺だけだ。

「詩織!」
中庭で学園祭の準備を指揮する彼女を見つけ、駆け寄る。
「蓮?どうしたの、そんなに慌てて」
「三日後の夜、大聖堂に近づくな!絶対に!」
俺の必死の形相に、詩織は怪訝な顔をする。「何言ってるの?最終日の閉会セレモニーは私、責任者よ?」
信じてもらえるはずがない。だが、諦めるわけにはいかない。俺は未来の記憶の断片を頼りに、犯人につながる手がかりを探して学園中を走り回った。警備が手薄になる場所、不審な噂、生徒たちの些細な会話。パズルのピースを拾い集めるように。

そして、一つの名前にたどり着く。物静かな二年生、影山亮。彼は半年前、実験中の事故で妹を亡くしていた。その事故を、学園側が隠蔽したという黒い噂があった。
犯人は彼かもしれない。俺は影山を追った。彼は学園祭の喧騒を避けるように、旧図書館の奥へと消えていく。後を追うと、彼は一枚の古い設計図を食い入るように見つめていた。それは、『時の万華鏡』の設計図だった。

「何をしている」
声をかけると、影山はびくりと肩を震わせ、ゆっくりと振り返った。その目は、深い絶望と、危険な光を宿していた。
「……君も、気づいたのか。この学園の本当の姿に」
彼の口から語られたのは、衝撃の事実だった。この学園は、時空物理学の天才だった創設者が作った巨大な実験場であり、『時の万華鏡』はその制御コアだということ。そして、時計塔の十三回目の鐘は、そのシステムに干渉するための隠されたトリガーなのだと。
「君は、何度目だ?」
影山の問いに、俺は息を呑んだ。
「俺は、もう十七回目だ」彼は虚ろに笑う。「何度やっても、妹を事故から救えない。だから、もうこのループごと、コアを破壊して、蓄積された膨大なエネルギーを過去に逆流させる。妹が死んだ、あの瞬間に!」

彼の目的は、詩織でもステンドグラスでもなかった。世界を巻き込むほど危険な、たった一人のための時間遡行。
運命の、学園祭最終日の夜。
俺は影山より先に大聖堂に駆け込んだ。月光に照らされた『時の万華鏡』が、幻想的な輝きを放っている。その後ろに、影山が立っていた。手には、金属バットが握られている。
「どけ、高槻。君には関係ない」
「関係なくない!俺は詩織を……この学園の未来を守る!」
「未来だと?俺には、過去しかないんだよ!」
影山が襲いかかってくる。無我夢中で、その一撃を避けた。未来を知る俺と、ループを繰り返す彼。互いの動きは、どこか読み合っているかのようだった。
「お前のせいで、詩織が死ぬ未来だってあるんだぞ!」
俺の叫びに、影山の動きが一瞬、止まる。その隙を見逃さなかった。俺は彼に組み付き、もつれ合うように床を転がる。
ガッシャァァン!
衝撃で倒れた燭台が、『時の万華鏡』に叩きつけられた。美しいガラスの万華鏡に、大きな亀裂が入る。そこから、青白い光が漏れ出し始めた。
「まずい、エネルギーが暴走する!」
影山が顔面蒼白になる。光は次第に強くなり、空間が悲鳴を上げ始めた。このままでは、影山の目論見通り、時空が崩壊してしまう。
「影山!お前の妹さんは、お前がこんなことをするのを望んでるのかよ!」
俺は叫んだ。
「自分のせいで兄さんが未来を失うなんて、絶対に望んでないはずだ!」
その言葉は、彼の心の奥に届いたようだった。彼の目から、光が消え、涙が溢れた。
「……どう、すれば……」
「まだ間に合う!」
俺たちは、暴走するコアを止めるため、二人で配電盤に駆け寄った。力を合わせ、メインブレーカーを落とす。閃光が弾け、俺たちの意識はそこで途切れた。

気づくと、俺は保健室のベッドにいた。隣には、心配そうな顔をした詩織が座っていた。
「蓮……よかった、気がついたのね」
彼女は無事だった。ステンドグラスは壊れたが、最悪の事態は避けられた。影山は学園のカウンセリングを受けることになった。そして、時計塔が十三回目の鐘を鳴らすことは、もう二度となかった。タイムリープの力は、永遠に失われたのだ。

失ったものは大きい。だが、得たものもあった。
「ありがとう、蓮。あなた、なんだか変わったわね。すごく、頼もしくなった」
そう言ってはにかむ詩織の顔は、今まで見たどんな彼女よりも綺麗だった。
俺はもう時間を遡れない。失敗も、後悔も、やり直すことはできない。
でも、それでいい。隣にいる彼女と、これから始まる新しい時間を、一秒一秒、大切に生きていけばいいのだから。
学園に、新しい朝が来ていた。

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