アカデミア・ロワイヤルと観測者の僕

アカデミア・ロワイヤルと観測者の僕

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月曜の朝、僕たちの通う霧ヶ峰学園は、巨大なゲーム盤へと変貌した。

全校生徒のスマートフォンに一斉に届いた通知。それは、今日から文化祭最終日までの二週間、学園の序列を完全に塗り替えるサバイバルゲーム『アカデミア・ロワイヤル』の開催を告げるものだった。

『全生徒に固有の“役割(ロール)”を付与する。校内での活動を通じて“学園ポイント(AP)”を獲得せよ。最終順位上位者には、あらゆる願いを一つだけ叶える権利が与えられる』

教室は興奮と混乱の坩堝と化した。スマホの画面には、ファンタジーゲームで見たような役割が表示されている。隣の席の鈴木は、拳を突き上げながら「俺、『戦士(ウォリアー)』だ! 腕力が1.5倍になるらしい!」と叫んだ。クラスのマドンナである白鳥さんは、控えめに微笑みながら「わたくしは『治癒師(ヒーラー)』ですわ」と報告し、周囲に男子の輪ができた。

騎士、魔術師、暗殺者――。誰もが胸躍る役割を与えられる中、僕、赤城湊の画面に表示された文字は、あまりにも地味で、絶望的だった。

【役割:観測者(スペクテイター)】
【固有能力:なし】

嘘だろ。能力、なし? それはつまり、このゲームにおいて僕は、ただのモブキャラだということだ。学園の最下層で、エリートたちが繰り広げる華々しい戦いを、指をくわえて見ているしかないのか。退屈な日常から抜け出せると思ったのに、与えられたのは特等席の傍観者チケットだった。

案の定、ゲームが始まると学園の力関係は一変した。運動部のエースたちは『騎士』や『武闘家』の役割を得て、校内に設置されたミッションを次々とクリアし、APを稼いでいく。成績優秀者たちは『賢者』や『錬金術師』となり、難解な謎を解いて高ポイントのボーナスを得ていた。

僕はといえば、誰にも相手にされず、ただ校舎を彷徨うだけ。固有能力がないのだから、当然だ。せめてもの抵抗として、僕は「観測者」という役割に忠実に、あらゆる場所で繰り広げられるゲームの様子を、ただひたすら観察し続けた。

屋上で『騎士』同士が繰り広げる模擬戦。図書館で『賢者』たちが解読する古代文字の謎。中庭で『幻術師』が仕掛ける幻の罠。僕は誰の目にも留まらない透明人間のように、その全てを見て、記憶した。

ゲーム開始から三日目のことだった。僕はいつものように、校舎裏で行われていた『盗賊(シーフ)』と『衛兵(ガード)』の小競り合いを物陰から眺めていた。盗賊が衛兵の隙をついて、ミッションアイテムの「古い鍵」を奪って逃走する。追いかける衛兵。ありふれた光景だ。

だが、僕には見えていた。盗賊が逃げる直前、地面に落ちていた石ころを蹴り飛ばし、それが壁の特定のレンガに当たった瞬間、レンガが一瞬だけ淡く光ったのを。

好奇心に駆られてそのレンガを押してみると、壁の一部がずれて、隠し通路が出現した。中には宝箱があり、輝くAPの結晶が眠っていたのだ。

「まさか……」

これは偶然じゃない。僕はすぐさま自分のスマホを取り出し、役割の画面をもう一度確認した。

【役割:観測者(スペクテイター)】
【固有能力:なし】
【補足:この世界の“真実”は、ただ観る者の前にのみ姿を現す】

今まで気づかなかった小さな補足文。固有能力がない、というのは運営側が仕掛けた最大のフェイクだったのだ。『観測者』の真の能力は、このゲーム世界の隠されたルールやギミック、普通なら誰も気づかないような「真実」を見抜くこと。

全身に鳥肌が立った。これは、最強の能力じゃないか?

僕の反撃が始まった。僕は「情報屋X」というハンドルネームを使い、匿名掲示板に情報を売り出した。

『西校舎三階、音楽室のベートーヴェンの肖像画。その右目を特定の順番で三回タップすれば、隠しクエストが発生する。情報料50AP』
『体育館裏の柳の木。根元に水をやると、一日一回だけ回復アイテムが実る。情報料30AP』

最初は誰もが半信半疑だったが、僕の情報が全て真実だと分かると、Xの投稿にはAPが殺到した。僕は一度も戦うことなく、誰かを傷つけることもなく、APランキングを駆け上がっていった。

そんな僕に目をつけたのが、学年トップの優等生にして、最強の『騎士』と名高い氷室咲だった。彼女は僕を中庭に呼び出すと、鋭い瞳でまっすぐに僕を射抜いた。

「あなたが情報屋Xね。単刀直入に言うわ。私と手を組まない?」

氷室さんは、圧倒的な戦闘力を持ちながらも、その正義感ゆえに汚い手を使えず、ランキング上位の『暗殺者』や『幻術師』に苦戦しているらしかった。

「あなたの『眼』と、私の『剣』。二つが合わされば、トップを狙えるはずよ」

彼女の提案は魅力的だった。僕には戦闘力がなく、彼女には情報収集能力が欠けている。完璧な補完関係だ。

「いいよ。でも、僕の正体は秘密にしてほしい」
「当然よ。パートナーの秘密は守る。それが騎士の誓いだから」

僕と氷室さんの奇妙な共闘が始まった。僕は彼女の影となり、戦場のギミックや敵の弱点、隠されたルートをリアルタイムで彼女に伝える。彼女は僕の指示通りに剣を振るい、魔法の盾を構え、次々と強敵を打ち破っていった。

僕たちは無敗の快進撃を続け、ついにランキング1位にまで上り詰めた。

そして、文化祭最終日。最後にして最大のミッションが発表された。

『旧校舎の時計塔の頂上に現れる“創生の王冠”を、最初に手にした者を勝者とする』

全校生徒が時計塔を目指して走り出す。そこは、『幻術師』の神崎が仕掛けた無数の罠と幻で満たされた、最悪のダンジョンと化していた。

「赤城くん、どうすればいい!?」
インカムから氷室さんの焦った声が聞こえる。

僕は旧校舎が見渡せる本校舎の屋上から、双眼鏡を構えていた。
「落ち着いて、氷室さん。幻に惑わされないで。僕の言う通りに進むんだ」

僕の『眼』には、神崎が仕掛けた幻の壁や、落とし穴のトラップが、まるで設計図のように見えていた。

「三歩前進して、右にステップ! そこ、床が抜ける!」「左の壁は幻だ、そのまま突っ切って!」

氷室さんは僕の言葉を完全に信頼し、迷いなく突き進む。彼女の剣が幻を切り裂き、盾が罠を弾く。僕の『観測』と彼女の『実力』が完璧にシンクロする。

時計塔の頂上。ついに王冠の前までたどり着いた僕たちの前に、神崎本人が立ちはだかった。
「まさか僕の幻術をここまで破るとはね。『騎士』さんと、その影にいる『観測者』くん」

「終わりよ、神崎くん!」
氷室さんが剣を構える。だが、神崎は不敵に笑った。
「本当にそうかな?」

その瞬間、氷室さんの足元に魔法陣が浮かび上がり、彼女を拘束した。
「しまった、これは……!」
「君が僕の相手をしている間に、もう一つの罠を仕掛けておいたのさ。チェックメイトだね」

神崎が王冠に手を伸ばす。万事休すか。
いや、まだだ。僕は双眼鏡で神崎の姿を捉えながら、インカムに叫んだ。

「氷室さん! 時計の針だ! 時計の長針の影が、魔法陣の起動スイッチになってる! 影を斬れ!」

僕の『眼』は、神崎の幻術のさらに奥、このミッションそのものに仕掛けられたギミックを見抜いていた。

「なっ!?」
驚愕する神崎を尻目に、氷室さんは僕の言葉を信じて、拘束されたまま渾身の力で剣を投げた。剣は美しい軌跡を描き、長針が落とす影の根元を正確に切り裂いた。

魔法陣が光を失い、霧散する。拘束が解けた氷室さんは、王冠を掴もうとしていた神崎の背後を取り、その首筋に剣を突きつけた。

勝負は、決した。

『アカデミア・ロワイヤル』の勝者は、僕と氷室さんのチームになった。願いを叶える権利は、相談の末、二人で「学園に最高の文化祭を開催できるだけの予算を」という、少しだけ欲張ったものにした。

ゲームが終わり、学園はまた元の日常に戻った。でも、僕にとっての世界は、もう退屈な灰色じゃなかった。

「おはよ、赤城くん」
教室に入ると、氷室さんが僕に微笑みかけた。以前ならあり得なかった光景だ。

僕はもう、ただの傍観者じゃない。この世界の真実を見抜き、未来を掴み取ることができる。そう、僕の胸を躍らせる、新しい物語の観測者なのだ。

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