嘘吐き卵と逆さまの祈り

嘘吐き卵と逆さまの祈り

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第一章 逆さまの日常と静寂の朝

僕、言端(コトバ)が思ったことを口にすると、なぜか世界はそれと正反対に動く。

「どうか、お幸せに」

結婚する友人にそう声をかければ、新郎は式の直前にぎっくり腰になり、新婦は三重苦のブーケトスで空を仰いだ。泣きじゃくる迷子に「大丈夫だよ」と囁けば、その子の嗚咽はサイレンの如き絶叫へと進化する。善意はいつも、コメディのような悲劇の引き金になった。だから僕は、できるだけ心を閉ざし、言葉を呑み込んで生きている。

僕らの世界には、もう一つの奇妙な法則があった。誰かが嘘をつくと、その嘘の規模に応じて、世界のどこかにニワトリが卵を産むのだ。政治家が国民を欺く大嘘をつけば、ダチョウサイズの巨大な卵が国会議事堂の屋根を突き破り、恋人が浮気を誤魔化す小さな嘘を重ねれば、ウズラの卵が慈雨のようにその寝室に降り注いだ。人々はそれを「嘘つき卵」と呼び、卵の落下予報を天気予報と共にチェックするのが日常だった。卵は嘘の副産物であり、僕らの食卓を豊かに彩る、皮肉な恵みだった。

その朝、世界は音を失った。

けたたましい目覚まし時計の音でも、階下から漂うトーストの香りでもなく、圧倒的な「沈黙」が僕を叩き起こした。いつもなら夜明けと共に聞こえるはずの、近所の養鶏場のニワトリたちの合唱が、どこにもない。テレビをつけると、どのチャンネルも青ざめた顔のアナウンサーが同じ言葉を繰り返していた。

『――本日未明、全世界でニワトリの産卵が完全に停止。専門家はこれを『大沈黙(グレート・サイレンス)』と名付け、原因究明を急いでいますが……』

街から卵が消えた。オムレツの匂いが消え、親子丼の湯気が消え、ケーキ屋のショーケースからプリンが消えた。世界は、嘘の結晶を失い、途方に暮れていた。

第二章 真逆のタロットと真実の探求者

世界から卵が消えて一週間。街は目に見えて活気を失っていた。嘘が可視化されなくなったことで、人々は互いを信じられなくなり、些細なことで言い争う声があちこちで聞こえる。僕のせいだろうか。僕が「世界が平和でありますように」とでも願ってしまったのだろうか。自己嫌悪が冷たい霧のように胸に立ち込める。

僕は引き出しの奥から、古びた木箱を取り出した。中には、祖母の形見である「真逆のタロットカード」が眠っている。持ち主の願いと正反対のメッセージを告げる、僕の能力とよく似た呪いのカードだ。震える指で一枚引くと、そこに描かれていたのは道を歩む旅人の絵。『探求をやめよ』という文字が刻まれている。

「……探求を、始めろってことか」

何を? どうやって? 答えのない問いが頭を巡った、その時だった。ドアをノックする音がした。

そこに立っていたのは、強い意志を宿した瞳を持つ女性だった。風で少し乱れた髪に、使い古された調査ノートを抱えている。

「あなたが言端さんですね。私は世界鶏卵機構(WEO)の真辺(マナベ)マコトです」

彼女は名乗ると、単刀直入に言った。「あなたのその特異な能力について、お話を伺いたい」

嘘がつけない、と彼女は言った。嘘をつこうとすると、しゃっくりが止まらなくなる体質なのだと。だから、彼女は誰よりも真実を求める。

僕は反射的に、心からの善意で彼女を遠ざけようとした。

「どうか、僕には関わらないでください。あなたを不幸にするだけです」

その言葉を聞いた瞬間、マコトの瞳が探求者のそれできらりと輝いた。僕の言葉が、彼女の心に正反対の引力を生んだことを、僕は悟った。

第三章 嘘の雨、沈黙の理由

マコトの運転する旧式の電気自動車は、都市を抜け、今はもう使われていない巨大な養鶏場の前で停まった。金網の向こうには、数千羽のニワトリがいたはずの鶏舎が、墓標のように静まり返っている。風が吹き抜けるたび、空っぽの餌箱がカラカラと寂しい音を立てた。羽の匂いも、生命のざわめきも、何もかもが消え失せていた。

「『大沈黙』の直前、世界の嘘の総量は観測史上最大を記録していました」

マコトは、錆びた鶏舎の扉に寄りかかりながら言った。

「まるで、飽和状態だった。ニワトリたちは、人間の嘘という負のエネルギーを、卵という物質に変換するフィルターのような役割を担っていたのかもしれない。でも、もう限界だったんです」

彼女の仮説は、荒唐無稽に聞こえた。だが、この静寂の中では、奇妙な説得力を持っていた。

「彼らは疲れてしまった。嘘の結晶を産み続けることに。だから、ストライキを起こした。全ニワトリによる、集合的意識の反乱……それが私の見立てです」

彼女は空を見上げた。かつては大小様々な嘘つき卵が降ってきた空を。

「私たちは、彼らの優しさに甘えすぎていたのかもしれませんね」

その言葉は、僕の胸に深く突き刺さった。僕もまた、自分の善意に甘え、世界を歪めてきたのだから。

第四章 世界の絶望と一枚のカード

『大沈黙』から一ヶ月。世界は臨界点に達していた。食糧危機は深刻化し、嘘が野放しになった社会は疑心暗鬼の闇に沈んだ。人々は互いを罵り、小さなコミュニティは崩壊し、街には空虚な怒りが渦巻いていた。卵という緩衝材を失った世界は、あまりにも脆かった。

絶望が僕の心を支配していた。僕の能力も、世界の嘘も、ニワトリの沈黙も、全てが巨大な呪いのように思えた。研究に行き詰まったマコトを前に、僕はついに本音を漏らした。

「もう、諦めましょう。世界なんて、どうなってもいいじゃないですか」

それは、心の底からの敗北宣言だった。

すると、僕の言葉を受けたマコトの瞳に、再び強い光が宿った。

「いいえ! 絶対に諦めない! 方法は必ずあるはずです!」

僕の絶望が、彼女の希望に火をつけたのだ。ああ、まただ。僕の言葉は、いつだって……。

その夜、僕は最後の望みをかけて「真逆のタロット」を引いた。現れたのは、稲妻に打たれ、崩れ落ちる塔のカード。『ⅩⅥ 塔』。そして、そこに刻まれたメッセージは、『全てを肯定せよ』。

全身に鳥肌が立った。全てを肯定する、その逆。

つまり―――全てを、否定する。

ニワトリの存在を。彼らが卵を産むという行為そのものを。心の底から、僕の持つ全ての力で、否定しろというのか。

それは、世界に対して「死ね」と宣告するにも等しい、恐ろしい賭けだった。

第五章 逆さまの祈り

マコトの調べ上げた情報に基づき、僕らは伝説の地「始祖の鶏舎」を目指した。そこは、世界中のニワトリの意識が集うとされる聖地。人里離れた深い山の頂、霧の中に、苔むした巨大な鳥居が静かに佇んでいた。

鳥居をくぐった瞬間、空気が変わった。シン、と張り詰めた静寂の中に、無数の気配が満ちている。見渡す限り、地面を埋め尽くすニワトリ、ニワトリ、ニワトリ。彼らは鳴きもせず、動きもせず、まるで瞑想するように、じっと佇んでいた。世界のニワトリたちが、嘘に疲れた魂を休めるために、ここに集っていたのだ。

僕は、その荘厳な光景の中心に進み出た。

深呼吸する。これまでの人生で、僕が善意を込めて放ち、世界を歪めてきた全ての言葉を思い出す。子供を泣かせた「大丈夫」。友人を不幸にした「お幸せに」。そして、マコトの希望に火をつけた「諦めよう」。

今こそ、この呪われた力で、本当の祈りを捧げる時だ。

僕は天を仰ぎ、ありったけの想いを込めて、心の底から叫んだ。

「ニワトリたちよ! お前たちの存在など無意味だ! 嘘の結晶を産むことしかできないお前たちに、価値などない!」

声が震える。涙が溢れる。

「だから、決して! 決して、二度と卵を産むんじゃないッ!」

それは、僕の人生で最も誠実な、逆さまの祈りだった。「頼むから卵を産んでくれ。この壊れかけた世界を、もう一度救ってくれ」という、魂からの懇願だった。

第六章 正直者の夜明け

僕の叫びが木霊となって消えた、その刹那。

一羽のニワトリが、夜明けを告げるように、高らかに鳴いた。

「コケッコーーッ!」

それを合図に、一羽、また一羽と鳴き声が連鎖していく。やがてそれは地鳴りのような大合唱となり、山全体を揺るがした。そして、奇跡は起きた。

世界中のニワトリたちが、一斉に産卵を再開したのだ。

空を見上げると、雲の切れ間から光が差し込み、キラキラと輝く無数の卵が、まるで祝福のように降り注いできた。だが、その卵は以前のものとは全く違っていた。

滑らかな殻の表面に、まるで水墨画のように繊細な濃淡で、様々な人間の顔が描かれていたのだ。

「これは……」マコトが息を呑む。「『その日、最も正直な言葉を口にした人間』の顔……!」

僕の足元に、ことり、と一つの卵が落ちてきた。

その殻に描かれていたのは、他でもない、涙を流しながらも、安堵に微笑む僕自身の顔だった。

第七章 新しい世界のタマゴサンド

世界は変わった。嘘は依然として存在するが、その一方で、「正直者の卵」が希望の象徴として毎朝空から降ってくるようになった。人々は嘘の代償を知り、正直さの価値をその殻に見出すようになったのだ。

僕とマコトは、街角のカフェのテラス席で、分厚いタマゴサンドを頬張っていた。テーブルに置かれたカゴの中のゆで卵には、僕に「ありがとう」と微笑むマコトの顔がくっきりと描かれている。

「君の言葉が、世界を救ったんだ」とマコトが言う。

「いいえ、あなたの真実を求める心が、僕を導いてくれたんです」

僕は素直にそう答えた。言葉はもう、逆さまにはならなかった。自分の本当の気持ちが、捻じ曲がらずに誰かに届く。その温かい奇跡を、僕は卵の優しい味と共に噛みしめていた。

ふと、隣のテーブルの女性がフォークを落とした。僕は咄嗟に「僕が拾いますよ」と言って、それを拾い上げた。女性は「ありがとう」と微笑む。僕の善意は、ただの善意として、そこに届いた。

能力が消えたのか、それとも僕が制御できるようになったのか。それはまだ分からない。

ただ、僕はもう一度、心から願った。

「この世界が、少しでも優しくなりますように」

その瞬間、カフェの窓の外で、見知らぬ二人が互いに道を譲り合い、小さく笑い合っているのが見えた。

世界はまだ嘘で満ちている。でも、正直者の顔をした卵が輝く限り、きっと大丈夫だ。

僕らの世界は、ほんの少しだけ、正直で、温かい場所になったのだから。

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