嘘吐きリョウと沈黙のライム

嘘吐きリョウと沈黙のライム

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第一章 偽りの空と日常の詩

リョウは空を見上げた。煤けたレンガ造りの建物がひしめくこの街では、空は四角く切り取られた青い布切れのようだ。彼は深々とため息をつき、道端の空き箱に腰を下ろした。

「ああ、俺は世界一の詐欺師。泣く子も黙る大悪党だ!」

大袈裟に胸を張って言い放つ。もちろん、真っ赤な嘘だ。すると、リョウの頭上、何もない空間からキラリと光る物が生まれ、重力に従ってゆるりと落ちてきた。カシャン、と乾いた音を立ててリョウの足元に転がったのは、やたらと精巧に彫金された、古めかしい一本の鍵だった。

リョウはそれを拾い上げる。ずしりと重い。『偽りの万能鍵』。きっと、そんな大層な名前がついているに違いない。これで何かが開いた試しはないが。

彼の名はリョウ。嘘をつくと、その内容に即した小道具が空から降ってくる、そんな奇妙な体質の持ち主だった。大富豪だと嘯けばおもちゃの札束が、名探偵だと見栄を張ればプラスチックの虫眼鏡が。彼の人生は、そんなガラクタで溢れかえっていた。

「あらリョウ、またガラクタを増やしたのね。そのうち部屋が埋もれるわ、ホントにね」

背後から聞こえた声に、リョウは心臓を跳ねさせた。振り返ると、図書館司書のカナデが、数冊の本を抱えて立っていた。彼女の呆れたような、それでいて温かい眼差しに、リョウはいつも少しだけ救われる。

「うるさいな。これは芸術品だ。いずれ価値が出る、骨董品だ」

リョウがぶっきらぼうに返すと、カナデはくすくすと笑った。この街では、会話の文末で韻を踏むのが絶対のルール。それが、人と人とを繋ぐ言葉の法律であり、優しいおまじないだった。

第二章 沈黙した街と痺れる光

異変は、何の予兆もなく訪れた。

昼下がりの広場、人々はいつものように言葉を交わしていた。「このパンは最高だ」「ああ、まるでサイコロだ」。そんな他愛ないやり取りが、心地よいリズムを刻んでいた。

そのリズムが、突然、途切れた。

果物屋の店主が叫んだ。「新鮮なリンゴだよ! とっても……とっても……」

店主の額に汗が滲む。次の言葉が出てこない。韻が、見つからない。彼の口が意味のない音を紡いだ瞬間、バチッ!と青白い光が彼を包み、店主は「ぐっ」と呻いてその場に崩れ落ちた。弱い電撃。ルールを破った者への罰だ。

それを皮切りに、街の至る所で不協和音が生じ始めた。

「今日の天気は、ええと……なんだっけ?」

バチッ!

「君の服、素敵だね。まるで……ううっ!」

バチッ! バチッ!

リョウとカナデがいた広場は、瞬く間にパニックの渦に呑まれた。あちこちで閃光が走り、人々が感電して倒れていく。鼻をつくオゾンの匂いと、焼け付くような静寂。誰もが言葉を発することを恐れ、互いに顔を見合わせるだけだった。簡単な韻すら、誰の頭にも浮かばなくなってしまったのだ。街の言葉のリズムが、完全に死んでいた。

第三章 砕けた言葉、繋がる想い

街から言葉が消えて数時間が経った。日が傾き、街路灯がぼんやりと灯る頃には、人々の顔には疲労と恐怖の色が深く刻まれていた。誰もが筆談かジェスチャーで意思を伝えようとするが、それだけでは感情の機微は伝わらない。街全体が、巨大なガラス瓶に閉じ込められたように息苦しかった。

リョウとカナデは、閉館した図書館の薄暗い書架の陰に身を寄せていた。カナデは真っ青な顔で、小さく震えている。彼女は誰よりも言葉を、その響きを愛していた。韻を踏むことは彼女にとって呼吸そのものだった。

「大丈夫か、カナデ。少し休めば……元気になる、たぶん」

リョウは必死に言葉を探したが、韻が見つからない。恐怖が喉を締め付ける。

カナデは弱々しく首を振ると、何かを伝えようと口を開いた。

「リョウ、怖がらなくて……いい。きっと、また……」

彼女は優しい韻を紡ごうとした。リョウを安心させるために。だが、その努力は虚しかった。

「……うた……える……から……」

バチッ!

ひときわ強い光がカナデの華奢な体を貫き、彼女は糸が切れた人形のようにリョウの腕の中に崩れ落ちた。焦げ付いた匂いがリョウの鼻を刺す。意識を失ったカナデの顔は、苦痛に歪んでいた。

リョウの中で、何かが焼き切れる音がした。

このくだらない能力。嘘の産物であるガラクタの山。ずっと疎んできた自分の全てが、今、猛烈な怒りとなって込み上げてくる。カナデを、この街を、こんな目に遭わせた「何か」が許せなかった。

彼は気を失ったカナデをそっと床に横たえると、固く拳を握りしめた。初めてだった。自分の嘘を、誰かのために使いたいと、心の底からそう思ったのは。

第四章 最大の嘘と一筋の希望

街の中心に聳え立つ、古びた時計塔。そこが市庁舎であり、この街のインフラを管理する中枢だった。パニックの原因は、街の言語を補助するAIのエラーだという噂が、筆談のメモから静かに広がっていた。リョウは、その塔を目指して走った。

時計塔の前は、ヘルメットを被った警備員たちによって固く封鎖されていた。彼らは厳しい表情で、誰一人通そうとしない。

「通してくれ! 中に用があるんだ!」

リョウが叫ぶ。だが、韻を踏めない言葉はただのノイズだ。警備員の一人が、電磁警棒を構えて無言で制止する。

万事休すか。リョウの脳裏に、苦しむカナデの顔が浮かぶ。

ここで諦めるわけにはいかない。

リョウは腹の底から声を絞り出した。人生で最大の、最も馬鹿げた、そして最も必死な嘘を。

「俺を通せ! この街の『無意識韻踏み支援AI』、"リリカル・コア"の生みの親は、この俺だ! 俺ならこの状況を何とかできる!」

その声は、静まり返った広場に奇妙なほど大きく響き渡った。警備員たちが呆気に取られてリョウを見つめる。

次の瞬間、リョウの真上の空が淡く光り、一枚の小さな板がひらひらと舞い落ちてきた。それは半透明の樹脂でできた、手のひらサイズのチップだった。内部の電子回路が、まるで生きているかのように青白い光を点滅させている。おもちゃのAIチップだ。

その異様な光景に、警備員たちだけでなく、塔の中から出てきた一人の老人も目を見開いた。白衣を着た、疲労困憊といった様子のその男は、リョウが手にしたチップを見るなり、わなわなと震え始めた。

「君は……まさか……」

彼こそが"リリカル・コア"の本当の開発者、ハカセだった。

第五章 偽りの鍵がこじ開ける真実

ハカセはリョウを塔の最上階、巨大なサーバーが並ぶ制御室へと案内した。部屋の中央には、ガラスケースに収められた球体状のコアユニットが鎮座している。本来なら七色の光を放っているはずの"リリカル・コア"は、今はただの鉛色の塊として沈黙していた。

「一斉アップデートのバグだ。完全にフリーズして、外部からのアクセスを一切受け付けん」

ハカセは悔しそうに唇を噛んだ。

「物理的に再起動するしかない。だが、緊急用のメンテナンスハッチが、電子ロックの誤作動で開かんのだ。もう、打つ手がない……」

絶望が、重く冷たい空気となって部屋に満ちる。その時、リョウはポケットの中で何かが硬く当たるのを感じた。昼間、空から降ってきた『偽りの万能鍵』。

どうせ、これもただのガラクタだ。そう思いながらも、何かに突き動かされるように、リョウはそれをハッチの鍵穴に差し込んだ。どんな鍵穴にも合わなかった、嘘から生まれた鍵。

カチリ。

信じられないほど軽く、澄んだ音が響いた。重厚なハッチが、ゆっくりと開いていく。

ハカセが息を呑んだ。ハッチの奥には、小さなスロットが一つだけ、ぽっかりと口を開けていた。リョウは、自分が嘘で手に入れた、光るおもちゃのAIチップを見つめる。ハカセはそのチップの形を見るなり、弾かれたように叫んだ。

「それだ! それは……物理リセット用の認証キーだ! 緊急用に設計したが、まさか本当に使うことになるとは!」

ハカセの手からチップを受け取ったリョウは、震える指でそれをスロットに差し込んだ。チップが深く収まると、沈黙していた"リリカル・コア"が眩い光を放ち、心地よい起動音を奏で始めた。

第六章 空に響くは、君との詩

街に、言葉が、韻律が、帰ってきた。

窓の外から、人々の歓声が聞こえる。「やったぞ、友よ!」「素晴らしい、この感動!」そんな喜びの声が、美しい詩となって空に溶けていく。

リョウはハカセに一礼すると、一目散に図書館へ走った。

書架の陰で、カナデがゆっくりと目を開けていた。リョウの姿を認めると、彼女は安心したように微笑んだ。

「おかえり、リョウ。君が無事で、本当によかった」

「ああ、ただいま。心配かけたな、カナデ。俺も君に会えて、すごく嬉しいぜ」

自然に紡がれる、優しい韻。それは、AIがもたらした便利さとは違う、心と心が直接触れ合うような温かさを持っていた。

リョウは空を見上げた。かつてはガラクタを降らせるだけだった忌まわしい空が、今は少しだけ違って見えた。嘘から生まれた偽物の鍵が、偽物のチップが、この街の真実を救った。嘘が、初めて本当の意味で誰かの役に立った。

AIに頼りきっていた自分たちの脆さ。しかし、それを乗り越えさせたのは、一人の男の、たった一つの必死な嘘だった。嘘と真実は、時にこんなにも奇妙に絡み合う。

リョウは自分の能力を、ほんの少しだけ、好きになれた気がした。隣で微笑むカナデの横顔を見ながら、彼は思う。この温かい言葉のリズムが響く街でなら、もう少しだけ、生きてみるのも悪くない。

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