空色石の心臓

空色石の心臓

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空に島が浮かび、人々が飛空船で雲を渡る世界。その動力源は、触れたものの重力を奪う神秘の鉱石「空色石(そらいろいし)」だった。

辺境の浮遊島で飛空船の修理工見習いとして暮らす少年カイトの夢は、ただ一つ。父の形見である旧式の飛空船「アルバトロス号」で、まだ誰も見たことのない空の果てへ行くことだ。

「カイト!またそんなガラクタをいじって!それより仕事を手伝いなさい!」
工房の親方の怒声が飛ぶが、カイトの耳には届かない。彼は今、アルバトロス号の船倉で見つけた、古びた羊皮紙の地図に夢中だった。インクは掠れ、奇妙な渦巻き模様と、見たこともない古代文字が記されている。

「リナ、これ、読めるか?」
カイトが駆け込んだのは、島の図書館。幼馴染で司書見習いのリナは、本の虫で古代史の知識が豊富だった。
リナは眉をひそめながらも、ルーペを片手に羊皮紙を覗き込む。
「……すごいわ、これ。伝説の『アトラスの天頂』への航路図よ。『原初の空色石』が眠るっていう……」
「原初の空色石!」
カイトの目が輝いた。無限の浮力を持ち、あらゆる船を空の果てまで導くと言われる伝説の石。それさえあれば、アルバトロス号だって!
「でも、航路が……『雷鳴の海溝を渡り、嘆きの風が歌う谷を抜けよ』ですって。そんな場所、生きて帰れた船乗りはいないわ。ただの御伽噺よ」
リナは呆れたように地図を突き返した。しかし、カイトの決意は固かった。
「御伽噺じゃない。親父もこれを探してたんだ。俺が行く」
「馬鹿言わないで!あのオンボロ船で、あなた一人で!?」
「一人じゃないさ」
カイトはニヤリと笑った。「お前も来るんだ、リナ。最高の航海士がいないと、伝説の島にはたどり着けないだろ?」

半ば強引に、しかしどこか期待に満ちたリナをナビゲーターとして、二人の冒険が始まった。アルバトロス号は軋みながらも、カイトの巧みな操縦で未知の空域へと進んでいく。空賊の奇襲をすり抜け、帝国の巡視艇から雲隠れし、地図に記された難所を一つずつ越えていった。

そして、ついに最後の関門「雷鳴の海溝」へとたどり着く。そこは、紫電が絶え間なく走り、巨大な積乱雲が壁のようにそそり立つ、船乗りたちの墓場だった。
「ダメよ、カイト!突っ込んだら木っ端微塵だわ!」
リナの悲鳴が響く。だが、カイトは操縦桿を握りしめたまま、嵐の目を睨んでいた。
「信じろ、リナ!アルバトロス号と、俺たちを!」
船は雷雲の渦へと突っ込む。凄まじい衝撃と轟音。マストが折れ、帆が裂ける。リナが古代文献から見つけ出した、嵐の中の僅かな風の通り道を頼りに、カイトは神業的な操縦で突き進む。稲妻が船体を掠め、二人は死を覚悟した。

その瞬間、全ての音が消えた。

嵐を抜けた先には、信じられないほど穏やかな、七色の光が満ちる空が広がっていた。そして、その中央に、巨大な岩塊が天に向かってそびえ立つ、荘厳な浮遊島が鎮座していた。「アトラスの天頂」だ。

二人は息を呑みながら島に降り立つ。しかし、そこに輝く石はどこにもなかった。あったのは、苔むした小さな祠と、一枚の石版だけ。
リナが、震える指で石版に刻まれた古代文字をなぞった。

「ここに宝はない」

リナはゆっくりと顔を上げた。
「『空を翔ける真の力は、石にあらず。それは未知へと踏み出す勇気。困難に立ち向かう知恵。そして、友と信じあう心。それこそが汝を空の果てへと導く、原初の翼なり』……ですって」

「原初の空色石」は、物ではなかった。それは、この冒険そのものだったのだ。
カイトは一瞬呆然としたが、やがて大声で笑い出した。
「そうか……そういうことかよ!やられたな!」
彼は満身創痍のアルバトロス号を見やり、隣で呆然とするリナの肩を叩いた。
「がっかりしたか?」
「……ううん」リナは首を振り、微笑んだ。「最高の気分よ。だって、私たちは伝説をこの目で見たんだもの」

宝は見つからなかった。しかし、二人は何物にも代えがたいものを手に入れていた。
「さて、リナ」
カイトは空の彼方を指さした。そこには、地図に載っていない、無限の青が広がっている。
「オンボロ船の修理から始めないとな。次の冒険のために」

二人の本当の航海は、まだ始まったばかりだった。

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