響き石と沈黙の唄

響き石と沈黙の唄

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私の生まれた里では、万物に音が宿るとされていた。風の囁き、石の呻き、草の芽吹く微かな吐息。そして、私たち「響き石の一族」は、それらの音を聴き、色とりどりの魔法の糸として紡ぎ出す力を持っていた。

しかし、私、リラにとって、その力は祝福ではなく呪いであった。絶え間なく耳に流れ込む音の洪水は、魂をすり減らすやすりのようだった。眠っている時でさえ、夢は誰かの寝言や星の瞬く音で満たされている。だから私は、誰にも理解されない秘密の願いを抱いていた。すべてが消え去った、完全なる「静寂」への憧れを。

その願いが、呪われた形で叶えられようとしていることに、私はまだ気づいていなかった。

異変は、静かに始まった。「沈黙病」と呼ばれるようになったその奇病は、まず人から言葉の響きを奪い、次いで足音を消し、やがては心臓の鼓動さえも微かにしてしまう。音を失った者は、まるで色褪せた絵のように生気をなくし、ただ虚空を見つめるだけの存在へと成り果てた。私のたった一人の友人、アレンもまた、その病に侵され、日に日に口数が少なくなっていった。彼の快活な笑い声が聞こえなくなって久しい。

「このままでは、里が、世界が死んでしまう」

長老は震える声で言った。一族に伝わる古文書によれば、世界の音を司る「始祖の歌」に異変が起きた時、沈黙が世界を覆うのだという。そして、その答えは、世界の果てにある「調律の洞窟」に眠っている、と。

アレンのかすれた寝息を背に、私は旅立ちを決意した。彼を救いたい一心で。そして、心のどこかで、私が焦がれた静寂の正体を見届けたいという、歪んだ好奇心を抱きながら。

旅は、音との対話の連続だった。険しい山脈では、怒れる岩盤の軋む音を鎮める糸を紡ぎ、深い森では、怯える動物たちの心音に寄り添う優しい調べを奏でた。私は、生まれて初めてこれほど多様な音と向き合った。荒々しい音、か細い音、喜びに満ちた音、悲しみに濡れた音。それらは全て、紛れもない「生」の証だった。

やがて、沈黙病に完全に侵された谷へと足を踏み入れた。そこは、私の憧れた静寂とは似ても似つかぬ場所だった。風は吹いても音はなく、川は流れても水音ひとつしない。鳥は羽ばたいても空を切る音はなく、まるで時間が停止したかのような、死んだ世界。あまりの虚無に、私は立っていることさえできず、その場に膝をついた。耳を塞いでも意味がない。ここには塞ぐべき音が存在しないのだから。息が詰まるほどの静寂は、安らぎではなく、存在そのものを否定する絶対的な恐怖だった。

ようやく辿り着いた「調律の洞窟」の最奥で、私が見たものは、神でも悪魔でもなかった。薄闇の中、巨大な心臓のように明滅を繰り返す、途方もなく大きな水晶。それが「始祖の歌」の源泉であり、この世界の心臓そのものだった。しかし、その鼓動はあまりに弱々しく、今にも止まってしまいそうだった。

沈黙病は呪いではなかった。永い時の流れの中で、世界の心臓が疲弊し、その力が尽きようとしている兆候だったのだ。世界は、緩やかな死に向かっていた。

水晶にそっと触れると、古の記憶が流れ込んできた。そして、私は理解してしまった。この心臓を再び力強く脈打たせる方法は、ただ一つ。新たな生命、新しい魂をまるごと注ぎ込み、新しい「歌」を捧げること。それは、術者の命と存在のすべてを、世界の心臓に捧げることを意味していた。

私の脳裏に、アレンの笑顔が浮かんだ。里の皆のざわめきが蘇った。かつてあれほど疎ましいと思っていた音の数々が、今ではどうしようもなく愛おしい。私が焦がれた静寂は、愛するすべてを失うことと同義だったのだ。後悔と、そして不思議なほどの安らぎが、胸に満ちていく。これが、私の生まれてきた意味なのだと、魂が静かに告げていた。

私は世界の心臓に両手を重ね、瞳を閉じた。私が紡ぎ始めたのは、英雄を讃える壮大な叙事詩でも、神々の威光を示す聖歌でもない。

アレンが木の実をくれた時の、はにかんだ笑い声。母が焼いてくれたパンの、香ばしい音。父の大きな背中から聞こえた、安心する心音。雨上がりの葉から滴り落ちる、小さな宝石のような雫の音。私が生きてきた世界で出会った、ささやかで、不器用で、温かい音のカケラたち。

それらを一つ一つ丁寧に束ね、優しい子守唄のような、新しい「歌」を紡ぎあげていく。私の体は足元から光の粒子となり、きらきらと舞い上がりながら、世界の心臓へと吸い込まれていった。意識が溶けていく最中、私は確かに聴いた。世界が、再び優しい音で満たされていくのを。

リラという名の少女は、世界から消えた。

しかし、沈黙に覆われていた大地には、穏やかな音が戻ってきた。人々は、そよ風の調べに、小川のせせらぎに、そして隣人の笑い声の中に、ふと懐かしい気配を感じるようになった。少女は世界そのものに溶け込み、今もどこかで、優しい歌を口ずさんでいるかのように。

里の丘の上では、すっかり元気になったアレンが、空に向かって小さな木の笛を吹いていた。その拙い音色は、空に響き、風に乗り、世界に満ちる無数の音と溶け合っていく。それは、届くはずのない少女へ贈る、永遠の感謝と追憶の調べだった。

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