この世界では、空の色が結晶となって地上に降ってくる。人々はそれを「天晶石(てんしょうせき)」と呼び、その輝きに秘められた微かな力を利用して暮らしていた。晴天の青は灯りとなり、曇天の灰色は薬となる。そして、稀にしか現れない特別な色の石を求めて旅をする者たちがいた。人々は彼らを、畏敬と少しの羨望を込めて「空色蒐集家(そらいろしゅうしゅうか)」と呼んだ。
カイもその一人だった。腰には、風の声を聴き、天晶石の気配を捉えるという「風詠みの羅針盤」を提げている。彼が探しているのは、ただ一つ。夜と朝の狭間、ほんの僅かな時間にだけ降るとされる伝説の石――「黎明の天晶石」。死者の魂を一度だけ呼び戻す力を持つと伝えられる、幻の石だ。
「羅針盤が震えている……この先だ」
カイがたどり着いたのは、「嘆きの峰」と呼ばれる険しい山の麓にある宿場町。ここでは、強力な天晶石を独占する「碧のギルド」が全てを仕切っていた。ギルドに逆らう者は、たちまち町から追い出されるという。
宿で情報を集めていると、黒衣の女がカイの前に座った。鋭い眼光と、耳に揺れる「嵐の夜の群青」のピアスが印象的だ。
「あなたも『黎明』狙い? 無駄なことよ。あの石は、ギルドマスターである私が手に入れる」
女はリアと名乗った。彼女こそ、冷酷無比な蒐集家として名高いギルドの長だった。
「目的がある。あんたに譲る気はない」カイが睨み返すと、リアは鼻で笑った。
「目的がない蒐集家などいないわ。でもね、小僧。覚悟の重さが、石を呼び寄せるのよ」
その夜、嵐が来た。嘆きの峰は、一年で最も激しい嵐が訪れる日に、最も美しい天晶石を降らせるという。カイは風雨に打たれながら、険しい岩肌を登った。背後からは、同じく頂を目指すリアの気配がする。
「なぜ、そこまでして『黎明』を欲しがる!」崖をよじ登りながらカイは叫んだ。
「あなたには関係ない!」リアが応じる。
「関係なくない! 俺は……病気で死んだ妹を、もう一度この手で抱きしめたいんだ! そのために、ずっと……!」
その言葉に、リアの動きが一瞬止まった。
「……私の母も、同じ病で床に伏している。もはや、人の手の施しようがない。だから、あの石が必要なのよ!」
互いの覚悟を知った二人は、言葉を失ったまま頂上を目指した。やがて嵐が嘘のように静まり、東の空が瑠璃色に染まり始める。その瞬間、世界から音が消えた。風詠みの羅針盤が、これまで感じたことのないほど激しく回転し、天を指す。
キラリ、と。
空の最も美しい場所から、一筋の光が零れ落ちた。それは虹の全ての色を内に秘め、朝の光そのものを固めたような、神々しい輝きを放つ石だった。黎明の天晶石だ。ゆっくりと、カイとリアのちょうど真ん中に、それは音もなく舞い降りた。
差し出された手は、二人とも同じだった。だが、カイは石に触れる寸前で指を止めた。脳裏に、いつも優しく笑っていた妹の顔が浮かぶ。
『お兄ちゃん、誰かを悲しませてまで、私に会いに来ちゃだめだよ』
「……持って行け」
カイは、そっと手を引いた。
「え……?」戸惑うリアに、彼は少しだけ笑って見せた。「妹は、誰かの犠牲の上に笑うような子じゃない。あんたの母さんのために使ってやってくれ」
リアはしばらくカイの顔を凝視していたが、やがて深々と頭を下げ、震える手で石を拾い上げた。
「この御恩は、決して忘れない……」
彼女はそう言うと、一つの小さな天晶石をカイに差し出した。それは、夜空の最も深い場所から採れるという「星渡りの黒曜石」だった。
「これは、道を示す石。ギルドが隠していた情報よ。『時の揺り籠』と呼ばれる谷には、過去の空が再び降るという言い伝えがある。……いつか、あなたの望む『空』も、きっと」
リアは山を駆け下りていった。一人残されたカイは、夜明けの光を全身に浴びながら、手の中の黒曜石を握りしめた。妹には会えない。だが、心は不思議と温かかった。
空は、今日も新しい色を生み出す。カイの旅は、まだ終わらない。風詠みの羅針盤は、次なる空を指して、静かに歌い始めていた。
空色蒐集家と黎明の石
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