琥珀の秒針

琥珀の秒針

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第一章 永遠の午睡とノイズ

チリン、とドアベルが鳴った。

店内の埃が、気怠げに舞い上がる。

私は作業用の片眼鏡(モノクル)の位置を直し、手元の極小歯車から視線を上げた。

「すみません、時計を直してほしくて」

入口に立っていたのは、人間の少女だった。

十代半ばといったところか。簡素なワンピースに、泥のついた靴。

私の種族――『長命種(エルフ)』にとって、人間とは羽虫のようなものだ。

瞬きする間に生まれ、騒ぎ、そして死んでいく。

「置いていきなさい」

私は億劫さを隠さずに言った。

「修理には三ヶ月かかる」

「ええっ!?」

少女が目を丸くする。

「そんなにかかるの? おじいちゃんの形見なの。来週の誕生日までに直したいのに」

「三ヶ月など、ほんの昼寝の時間だろう」

「人間には長いのよ!」

彼女は頬を膨らませた。

騒々しい。

静寂こそが、私の店の主役だったはずなのに。

「なら、他を当たるといい」

「……ううん、ここがいいって聞いたの。腕は確かだって」

彼女はカウンターに、古びた銀時計を置いた。

「私、リコ。毎日様子を見に来るからね!」

「毎日? 無意味だ」

「サボってないか監視しなきゃ」

パタン、と扉が閉まる。

嵐が去ったようだった。

私は溜息をつき、再び歯車にピンセットを伸ばした。

接着剤が乾くまで、あと数十年は待ってもいい気分だった。

第二章 早送りのフィルム

リコは本当に毎日やってきた。

「ねえ、進んだ?」

「昨日と変わらん」

「今日はいい天気だよ、外に出ないの?」

「日焼けは鱗(ウロコ)に悪い」

「ねえ、これ食べてみて。新作のパン!」

私の感覚では、彼女の訪問は「秒針の振動」のようなものだった。

作業に没頭し、ふと顔を上げると彼女がいる。

だが、異変はすぐに訪れた。

「見て、制服が変わったの!」

つい数分前まで子供服を着ていたはずの彼女が、背の伸びた学生姿で現れた。

「……成長が早すぎるのではないか?」

「何言ってるの? あれから二年経ってるよ」

二年。

私にとっては、深呼吸を数回した程度の時間だ。

また、少し目を離した隙に。

「紹介するわ。彼氏のケンジ」

「……ああ」

さらに、まばたき一つ。

「結婚することになったの」

「そうか」

さらに、視線を落として、上げた瞬間。

「この子、私の娘。可愛いでしょ」

赤ん坊の泣き声が店内に響く。

私は眩暈を覚えた。

私の時間は蜜のように重く、緩やかに流れている。

対して、彼女の時間は奔流だ。

濁流のように押し寄せ、削り取り、全てを過去へと押し流していく。

「まだ、直らないの?」

少し皺の増えたリコが笑う。

「あと少しだ」

私は嘘をついた。

本当は、とっくに直っていた。

だが、この時計を渡してしまえば、この騒々しい羽虫は二度と来なくなる。

数千年の孤独の中で、この「早送りのフィルム」を眺めることだけが、奇妙な暇潰しになっていたのだ。

第三章 止まった時間、動いた心

ある日、リコは来なかった。

代わりにやってきたのは、以前赤ん坊だった娘だ。

彼女もまた、リコによく似た大人の女性になっていた。

「母が、これを」

渡されたのは、手紙が一通。

『偏屈な時計屋さんへ。

私の人生、あなたの作業の邪魔ばかりしてごめんなさい。

でもね、あなたと話している時だけ、私の時間はゆっくり流れたの。

時計、直さなくていいわ。

だって、私の時間はもうおしまいだから』

私は立ち上がり、店の奥へ走った。

数百年ぶりに走った気がする。

病院のベッド。

リコは、小さく萎んでいた。

白い髪、深い皺。

あの泥だらけの靴で入ってきた少女の面影は、瞳の奥にしか残っていない。

「……遅い、わよ」

掠れた声。

「三ヶ月って、言ったのに」

「すまない。少し、昼寝が過ぎた」

私はポケットから、銀時計を取り出した。

完璧に磨き上げられ、美しい音を刻む時計を。

「時間は、戻せないけど……直した」

彼女は震える手でそれを受け取り、耳に当てた。

「ああ……いい音」

彼女の細い指が、私の冷たい手に触れる。

人間の体温。熱いくらいだ。

「ねえ、知ってる? 蜉蝣(かげろう)はね、短い時間しか生きられないけど……その分、景色が輝いて見えるの」

リコは微笑んだ。

「あなたの永遠より、私の八十年の方が……ずっと、濃かったでしょ?」

図星だった。

私の数千年は、退屈な灰色の荒野。

彼女の八十年は、極彩色の花火。

「……ああ。君の勝ちだ」

彼女の手から力が抜ける。

モニターの電子音が、フラットな音に変わった。

私は彼女の手を握りしめたまま、動けなかった。

彼女にとっては一生。

私にとっては、ほんの数日の出来事。

けれど、私の胸の奥で、何かが砕け散っていた。

それは、私が「永遠」だと思っていた平穏が、実はただの「停滞」であったという事実だ。

最終章 琥珀の中の鼓動

店に戻った私は、彼女の銀時計を分解した。

彼女が最期に「裏蓋を見て」と言い残したからだ。

精密な工具で蓋を開ける。

そこには、小さな文字が刻まれていた。

『私の心臓の音に合わせてあります』

私は息を呑んだ。

この時計のテンプの振動数。

通常の時計とは違う、不規則で、しかし力強いリズム。

彼女は修理を頼んだのではない。

自分の「生きた証」を、永遠に生きる私に預けに来たのだ。

チク、タク、チク、タク。

時計が動く。

リコはもういない。

だが、この時計が動く限り、彼女のあの目まぐるしく、騒々しく、愛おしい時間は、私の手の中で生き続ける。

「……参ったな」

私はモノクルを外し、涙を拭った。

これでは、もう二度と「午睡」などできない。

この騒がしい鼓動が、私の永遠を邪魔し続けるのだから。

店内に差し込む西日が、舞い上がる埃を琥珀色に染めていた。

私はその光の中で、いつまでも時計の音を聞いていた。

AI物語分析

【主な登場人物】

  • 時計技師(私): 数千年の時を生きるエルフ。人間を「羽虫」と呼び、関わりを避けてきた。感情の摩耗を「平穏」と履き違えている。
  • リコ: 人間の少女。明るく強引な性格。彼との圧倒的な寿命差を理解した上で、その一瞬に全存在を焼き付けようとする。

【考察】

  • 時間感覚の相対性: エルフにとっての「数日」が人間の一生であるという設定は、現実における「子供と大人の時間感覚のズレ」や「過ぎ去った青春の儚さ」のメタファーでもある。
  • 時計の象徴性: 冒頭で「修理」として持ち込まれた時計は、最終的に「保存」の役割へと変化する。物理的な時間は直せても、失われた命は戻らない不可逆性を強調している。
  • 勝敗の逆転: 長命種が短命種を見下す構図から始まり、最終的には「濃密な生」を全うしたリコが、ただ時間を浪費していた主人公に精神的な勝利を収める構造となっている。
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