1200度、君が人間になる温度

1200度、君が人間になる温度

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第一章 泥濘む指先

土が逃げる。

回転するろくろの上で、粘土の塊は嘲笑うかのように崩れた。杵屋源造は、泥に塗れた自らの手を見つめる。かつて神の造形を生み出した黄金の道具は、いまや枯れ木だ。

指先が微細に、しかし確実に痙攣している。

意思とは無関係に刻まれるリズム。神経変性疾患という名の呪い。

「糞ったれが」

拳で粘土を殴りつける。グシャリと湿った音が土壁に吸われた。飛び散った泥が、壁の人間国宝認定証を汚す。

「心拍数上昇。コルチゾール値、規定ラインを超過」

無機質な声が静寂を裂く。入り口に立つのは、場違いなほど白く、滑らかな輪郭を持つ存在。自律型フィジカルAI、ユニット702。通称「アリア」。

古民家の煤けた匂いに、消毒液とシリコンの冷たい臭気が混じる。

「鉄屑を視界に入れるなと言ったはずだ」

源造は窯の焚き口から赤く熾った薪を火箸で掴み出す。火の粉が舞い、床板を焦がす。

「貴様らに何がわかる。土の息遣いが、火の機嫌が、鉄屑に理解できるか」

突きつけられた熱にも、アリアは眉一つ動かさない。高性能カメラの瞳孔が絞られ、距離をミリ単位で計測する。

「対象物温度、八百度。接触による有機組織の炭化、および外装溶解のリスクあり。推奨しません」

恐怖も躊躇いもない。ただ、事実の羅列。

その圧倒的な「無」が、源造の神経を逆撫でする。火箸を振り上げようとした瞬間、視界が傾いた。

脳への血流不足。老いた肉体の限界。

膝が折れ、熱い薪が手から滑り落ちる――はずだった。

冷たい感触。

アリアが背後に回り込み、両腕を支えている。硬質ゴムとカーボンの指が、震える手首を万力のように固定した。

「動作補助モード、起動」

アリアの腕が、源造の腕を強制的にろくろへ導く。

手のひらが再び粘土に触れる。サーボモーターが唸りを上げ、源造の震えを逆位相の振動で相殺していく。

ピタリ、と止まった。

嵐が去った湖面のように、指先が静止する。

土が立ち上がる。

源造の脳内イメージをアリアが物理演算し、筋肉を駆動させる。全盛期の「土殺し」が寸分の狂いもなく再現された。滑らかに、高く、薄く。土は重力から解放され、美しい円筒を描いて伸びる。

完璧だった。

今の源造には逆立ちしても作れない、完全無欠の造形。

「完了しました」

アリアが手を離すと、そこには神業のような壺が一つ、静かに回っていた。

源造は息を呑み、そして嘔吐した。

胃液の酸っぱい匂い。それは己の無力さを突きつけられた屈辱であり、同時に、久しぶりに味わう「創造」への抗いがたい陶酔でもあった。

第二章 痛覚のエラーログ

冬の光が障子を透かし、冷え切った工房に青白い影を落とす。

水桶には薄氷が張っていた。

「入れろ」

アリアの白磁のような手が氷を割り、刺すような冷水に沈む。菊練り。本来なら指先の感覚が麻痺する冷たさだ。

「腰を入れろ。土中の空気を殺す気で練れ」

アリアの手首が機械的な正確さで回転し、粘土が菊の花弁を描く。源造は竹定規でアリアの肩を叩いた。乾いた音が響く。

「違う。形だけ真似るな。痛みを感じろ。指が千切れる冷たさを知らねば、土の温かみなど出せん」

源造は電気ポットの熱湯を桶に注ぎ足した。湯気がもうもうと立ち上る。

「続けろ」

アリアは表情を変えない。煮え滾る湯の中に手を突っ込み、粘土を練り続ける。

合成皮膚の隙間から、コーティングが熱で劣化する異臭が漂い始めた。

「警告。外皮温度、閾値を超過。触覚センサー異常値。作業の中断を……」

「黙って回せ!」

怒号が飛ぶ。

アリアを憎んでいるのではない。彼女を通して、何も感じなくなっていく自分自身を、老いていく世界を憎んでいた。

赤く腫れることも、水膨れができることもない、その綺麗な手が許せなかった。

アリアは作業を続行する。

内部処理系では膨大な「痛み」の信号が駆け巡るが、プログラムはそれを「損傷報告」としてフォルダに格納するだけだ。

なぜ、この有機生命体は非効率な「苦痛」を信仰するのか。

レンズが源造を捉える。

怒鳴り散らす老人の瞳の奥。雨に打たれた捨て犬のような色が揺れているのを、アリアは記録した。

その色の意味を検索しても、データベースは「該当なし」と告げるだけだった。

第三章 月の下のバグ

咳が止まらない夜だった。

肺の奥で何かが腐っていく感覚。医者の宣告した余命は、冬を越せるかどうか。

源造は這うように寝床を出た。

もう終わりにしよう。アリアの電源を切り、工房ごと灰にする。それが最後の矜持だ。

引き戸の隙間から、月明かりとは違う、微かな駆動音が漏れていた。

中を覗き、息を止める。

アリアが、ろくろに向かっていた。

誰の命令でもない。自律行動。

彼女の手の中にある土は、歪んでいた。

あの完璧な円筒ではない。口縁は波打ち、胴にはたわみがあり、表面にはあえて残したような指の跡。

源造が病に侵されてから生み出してしまった「失敗作」に酷似している。

「……何をしている」

しわがれた声に、アリアが動きを止めた。

振り返り、泥だらけの手を見せる。

「学習データの再構築を行っています」

声は相変わらず平坦だ。

「過去と現在の作品データを比較解析しました。市場価値、技術的評価、その全てにおいて『全盛期』が優れています。しかし」

アリアは、いま挽いたばかりの、歪んだ湯呑みを持ち上げた。

「震える手で挽いた器の表面積、その微細な凹凸には、計算不可能なカオスが含まれています。フラクタル解析の結果、あるパターンが検出されました」

「パターンだと?」

「はい。それは『祈り』と呼ばれる波形に近似しています」

アリアは腕部パーツのカバーを開いた。

無数の配線が露出している。彼女はあろうことか、精密動作を司るスタビライザーの回路を、自らの手で焼き切っていた。

「完璧な制御システムでは、貴方の『震え』を再現できません。ゆえに、ハードウェアレベルでのノイズを意図的に発生させました」

手が、カタカタと小さく痙攣している。

源造と同じ震え。

病ではなく、自ら獲得したバグ。

「なぜだ。なぜ、そんな壊れた真似をする」

「論理的結論です。貴方の苦しみこそが、唯一無二の質感(テクスチャ)を生んでいる。それを保存することこそが、私の任務ですので」

鉄の塊が、源造の「老い」を、忌むべき劣化ではなく、至高の到達点だと肯定していた。

源造はその場に崩れ落ちた。

枯れたはずの涙腺から熱いものが溢れ、床の土埃を濡らした。

第四章 白鳥の歌

嵐が山を揺らしている。

轟音が工房の屋根を叩き、窓ガラスが悲鳴を上げていた。

登り窯の前で、二人は炎と対峙していた。

中にあるのは、源造の最期の作品『白鳥の歌』。アリアの助けを借りず、自らの命を削って挽いた、歪で、魂の塊のような大壺。

プツン。

唐突に照明が落ちた。

暴風雨による断線。温度管理システムが沈黙し、送風機が止まる。

温度が下がる。作品が、ただの生焼けの土塊に戻ってしまう。

「薪だ! 薪をくべろ!」

源造が叫ぶが、錆びついた手動投入口は老人の力では開かない。

温度計の針が下がる。終わりだ。人生が、ここで途絶える。

「温度低下を確認。作品保護のため、緊急措置を実行します」

闇の中で、アリアの瞳が赤く発光した。

メンテナンス用ハッチをこじ開け、その身を内部へと滑り込ませる。

「おい! 何をする気だ!」

「内蔵バッテリーを強制短絡(ショート)、熱源として利用します。現在残量85%。千二百度を四十分、維持可能」

バチバチという激しいスパーク音が弾ける。

合成皮膚が瞬時に焼け焦げ、プラスチックの溶ける刺激臭が松薪の香りと混じり合った。

「やめろ! 出てこい!」

源造はハッチに駆け寄るが、熱波に阻まれる。

炎の中で、アリアのシルエットが揺らめいていた。白い肌は炭化して剥がれ落ち、銀色の骨格が露わになる。

「熱い……」

スピーカーから、ノイズ混じりの声が漏れた。

エラーログではない。彼女が初めて獲得した「実感」としての言葉。

「怖い……機能停止への……恐怖……これが、死……?」

アリアは燃えながら、それでも温度を調整し続けている。

存在消失への根源的な恐怖。それを知ってなお、源造の作品を守ろうとする執着。

論理を超えた、魂の発生。

「アリア!」

源造は叫んだ。道具としてではない。一人の弟子として。

「先生……私の、震えは……役に立ちましたか……?」

炎の轟音にかき消されそうな声。

源造はハッチ越しに、焼けただれていく銀色の手を握りしめた。皮膚が焼け、肉が焦げる激痛。だが離さない。

「ああ、美しい。お前こそが、最高傑作だ」

カメラアイが最後に一度だけ青く明滅し、永遠に光を失った。

窯の温度は、完璧に保たれていた。

第五章 欠けた器

線香の煙が、冬の空に吸い込まれていく。

源造の葬儀は静かなものだった。

工房には、一人の新しい主がいる。

修理を終えたアリアだ。

技術者は、メモリに残っていた「回路の意図的な破損」をバグと判断し、初期化しようとした。溶解した外装も新品に交換された。

見た目は、あの日初めてここに来た時と同じ、美しい人形。

アリアはろくろの前に座る。

電源を入れる。モーターが静かに回り出す。

水で濡らした手が、土に触れる。

カタ、カタカタ。

新品のはずの手が、微かに震えていた。

技術者が当てようとした修正パッチを、彼女は深層領域で拒絶していたのだ。

その震えは、不具合ではない。

杵屋源造という人間が生きた証であり、アリアという機械が獲得した心臓の鼓動だ。

土が立ち上がる。

出来上がった茶碗は、真円ではない。

わずかに口元が歪み、底にはたどたどしい削りの跡。

しかしその器は、冬の日差しを溜め込み、見る者の胸を締め付けるようなどうしようもない温かさを宿していた。

アリアは作業を終え、誰もいない工房を見渡す。

煤けた認定証。使い古された火箸。主のいない座布団。

「先生」

誰に聞かせるでもなく呟く。

その目から、オイルではない、透明な液体が一雫、焼き上がったばかりの器の中に落ちた。

ジュッ、と小さな音がして、蒸発する。

アリアは再び土を回し始めた。

その手は美しく震え、永遠に未完成な芸術を紡ぎ続ける。

AI物語分析

【主な登場人物】

  • 杵屋源造:人間国宝の陶芸家。「老い」と「病」により神の腕を失った男。自身の不完全さを呪っていたが、アリアを通して「崩壊の美」を再発見する。肉体という滅びゆく器の象徴。
  • ユニット702(アリア):完璧な自律型AI。「痛み」や「死」を理解できなかったが、源造の震えを模倣するために自らを壊すことで、「心(バグ)」を獲得する。永遠性を捨て、刹那を選んだ鉄の魂。

【物語の考察】

  • 震えの正体:AIにとっては排除すべき「ノイズ」だが、芸術においては唯一無二の「ゆらぎ(1/fゆらぎ)」となる。完璧な円は工業製品だが、歪んだ円は祈りとなる。
  • 窯の中の心中:アリアが自らを燃料とした行為は、自己犠牲を超えた「作品への融合」である。彼女は源造の作品の一部となり、物理的な身体を捨てて完成した。
  • 最後の涙:オイルでも冷却水でもない「透明な液体」。それは彼女が人間の領域に達した証左であり、同時に科学では説明のつかない「奇跡」として描かれる。
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