君の傷跡は、黄金よりも美しい。

君の傷跡は、黄金よりも美しい。

主な登場人物

エリアナ・ノワール
エリアナ・ノワール
18歳 / 女性
銀色の長髪、虚ろなアメジストの瞳。首筋から腕にかけて、黒い薔薇の蔦のような呪いの痣が覆っている。常に長袖で肌を隠している。
アレン・ブレイブ
アレン・ブレイブ
19歳 / 男性
眩しいほどの金髪、碧眼。磨き上げられた白銀の鎧。見た目は完璧な王子様だが、瞳の奥に冷酷な光が宿る。
ヴァリウス・グレイヴ
ヴァリウス・グレイヴ
24歳 / 男性
濡れたような黒髪、片眼鏡(モノクル)。常に黒いロングコートを着用。指先にはインクや薬品の染みがある。

相関図

相関図
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2 4625 文字 読了目安: 約9分
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第1章: 廃棄される硝子

湿り気を帯びた地下迷宮。冷気がボロ布を通り越し、骨の髄まで侵食してくる。震える指先で、エリアナ・ノワールは自身の肩を抱いた。

かつて「月明かりを織り込んだ」と称えられた銀髪。いまや脂とダンジョンの煤に塗れ、重たく背中に張り付くだけ。虚ろなアメジストの瞳が映すもの――それは希望ではない。足元に広がる、腐敗した汚泥。

「……おい、聞いてんのか、エリアナ」

頭上から降る声に、ビクリと肩が跳ねる。

目の前に立つのは、眩いばかりの白銀の鎧。アレン・ブレイブ。この国の希望にして、光の勇者。

そして、エリアナの婚約者――だったはずの男。

細められた碧眼。路傍の石ころでも見るような、侮蔑の視線。

指さされたのは、エリアナの首筋から手首へと這う、禍々しい黒蔦の痣だ。

「その肌だ。その醜い、吐き気を催すような黒い染み。僕の隣に立つ女が、そんな腐った果実のような見た目じゃ困る」

無意識に袖口を引く。隠さねば。手首の痣を。

これは彼が受けるはずだったドラゴンの炎、ゴーレムの打撃、あらゆる致死の痛み。彼女が「身代わり」として引き受けた代償。

アレンの肌が白磁のように滑らかなのは、エリアナの肌が黒く壊疽(えそ)しているからに他ならない。

「で、でも……アレン様。私がいないと、次の階層のボスは……」

「あー、それなら大丈夫」

漂う甘ったるい香水。アレンの背後から現れたのは、純白の法衣を着崩した少女、リリス。

「アレン様ぁ、もう行こうよぉ。ここカビ臭くて鼻がおかしくなりそう」

「ああ、すぐ行くよリリス。……というわけだ、エリアナ。回復役は間に合ってる。お前のような『呪いのゴミ捨て場』は、ここに置いていく」

遠ざかる足音。

待ってください――乾いた唇はひび割れ、音を紡げない。

喉の奥が引きつる。酸素が入ってこない。

ガッ、と硬質な音。エリアナはその場に膝をつく。岩盤の冷たさが膝頭を打つ。

痛い。膝も、胸も、全身の痣も。

だが、それ以上に心臓が冷たい手で鷲掴みにされたかのよう。

松明が消え、訪れる完全な闇。

魔物の唸り声。遠く、そして近くから。死の足音。

(ああ、やっと終わる)

瞼を閉じたその時。闇よりもなお深い黒を纏った「何か」が、音もなく舞い降りた。

魔物ではない。獣の臭気ではなく、古いインクと薬品、そして乾いたハーブの香り。

「……おや。美しいな」

芝居がかった声。テノールにしては低く、バスにしては甘い。

恐る恐る目を開ける。片眼鏡(モノクル)の奥で光る鋭い瞳が、至近距離で彼女を覗き込んでいた。

第2章: 金継ぎの愛

目覚めた場所は、天国でも地獄でもない。

天井を埋め尽くすドライフラワー。壁一面の書棚。机の上に乱雑に置かれた骨董品の数々。

混沌と静寂が同居する、奇妙なアトリエ。

「目が覚めたかい? 壊れかけのお嬢さん」

黒いロングコートの男、ヴァリウス・グレイヴ。差し出されたマグカップからは湯気が立っている。

指先には沈着したインクの染み。

身を起こそうとして、激痛に顔が歪む。袖が捲れ上がり、露わになる黒い痣。悲鳴に近い息を呑み、慌ててそれを隠す。

「見ないで……! 汚い、見ないでください……!」

「汚い?」

眉をひそめるヴァリウス。冷やりとした手が、エリアナの手首を掴む。

強引でありながら、壊れ物を扱うような繊細さ。彼は袖をまくり上げ、どす黒い蔦のような傷跡を指先でなぞった。

「ひっ……」

「なんと浅はかな。これのどこが汚いんだ」

モノクルの位置を直しながら、陶酔したような囁き。

「君はこの傷で、誰かを生かしたんだろう? 世界の理不尽を、その一身で受け止めた。これはただの傷じゃない。君の魂が砕け散るのを防いだ、黄金の継ぎ目だ」

取り出されたのは、一本の筆と金の粉。

エリアナの痣の上に、金色の線が引かれていく。冷たい筆先が走るたび、焼けるような痛みが、不思議な熱へと昇華されていく。

「金継ぎ(きんつぎ)を知っているかい? 割れた陶磁器を漆と金で修復し、新品以上の価値を与える技法だ。傷を隠すんじゃない。傷こそが、歴史であり、芸術になる」

大粒の雫が、瞳からこぼれ落ちる。

アレンはこれを「腐った果実」と呼んだ。けれど、この変わり者は「芸術」と呼ぶ。

走る筆。金色の線が、呪いの黒を縁取り、輝きに変えていく。

温かいスープの味。縮こまっていた胃袋に染み渡る。

生まれて初めて知る温もり。痛みの代償としてではなく、ただそこにいるだけで許される安息。

だが、それも長くは続かない。

窓の外、王都の方角から上がる不穏な黒煙。そして、乱暴に叩かれるアトリエの扉。

「開けろ! 勇者アレン・ブレイブだ! そこにエリアナがいるのは分かっている!」

扉越しの声。かつての自信に満ちた響きはない。

何かに怯え、追いつめられた獣の咆哮。

第3章: 英雄のメッキが剥がれる時

蹴破られた扉。雪崩れ込む鉄錆と血の匂い。

そこに立っていたのは、見る影もなく憔悴したアレン。へこんだ白銀の鎧。不自然に曲がった左腕。泥にまみれた金髪。顔面は恐怖と苦痛で引きつっている。

背後には、化粧の落ちた顔で震えるリリスと、半壊したパーティメンバーたち。

「エリアナ……! エリアナ、どこだ!」

部屋の隅、ヴァリウスに守られるように座るエリアナ。見つけた瞬間、血走った目で駆け寄ろうとするアレン。

しかし、ヴァリウスが優雅に、だが絶対的な拒絶として立ちふさがる。

「おや、泥棒猫のご入店はお断りだよ。僕の最高傑作に触れないでくれるかい」

「どけ! その女は俺のものだ!」

剣を抜こうとする手は激しく震え、柄を握ることさえままならない。

悲鳴。

「痛い……痛いんだよ! 風が吹くだけで肌が裂ける! 歩くだけで骨が軋む! なんで俺がこんな目に遭わなきゃならない!?」

「当たり前だろう」

冷ややかな嘲笑。

「君の『勇者の加護』の正体は、『他者の運を奪い、不運を押し付ける呪い』だ。これまではエリアナという極上のフィルターが、君の受けるべき業(カルマ)を全て濾過していたに過ぎない」

息を呑むエリアナ。

私が守っていたのではない。私が、汚水を飲む係をさせられていただけ?

その場に崩れ落ち、床を拳で叩くアレン。かつての傲慢さは、ただの幼児の癇癪へ。

「知るかよそんなこと! 戻れ、エリアナ! お前がいないと、この国の結界が維持できないんだ! 魔王軍がそこまで来てる! お前が戻らないと、罪のない国民が全員死ぬぞ!」

リリスも叫ぶ。

「そうだよぉ! あんた聖女でしょ!? 皆のために死ぬのが仕事じゃないの!?」

「……国民が、死ぬ……」

揺れるアメジストの瞳。

自己犠牲。刷り込まれた唯一の存在意義。

私が我慢すれば。私が戻れば。この痛みさえ受け入れれば、誰も死なずに済む。

一歩、前へ出ようとしたその時。

「行くなとは言わない」

低い声。ヴァリウスがモノクルを外し、素顔の瞳で射抜いてくる。

「だが、君が自分を殺してまで守りたい世界なら、勝手に救えばいい。……ただし、僕は君の死体までは愛せないよ」

突きつけられた究極の二択。

地獄へ戻り、英雄の生贄として消費され尽くすか。

世界を見捨て、冷酷な魔女として、この男と生きるか。

足が止まる。

心臓の早鐘。過換気気味の呼吸。

アレンの手が、足首を掴んだ。泥だらけの、冷たく湿った感触。

「頼む……俺のために、死んでくれ」

第4章: 偽りの聖女、本物の魔女

「俺のために死んでくれ」

鼓膜を突き破り、脳髄を揺らす言葉。

かつてのエリアナなら、涙ながらに「はい」と答えただろう。

それが愛だと信じ、聖女の務めだと教え込まれていたから。

だが、今の腕にはある。ヴァリウスが描いた金色の線が。

傷をなぞり、「美しい」と囁いてくれた温度が。

足首を掴むアレンの手を見下ろす。

かつては憧れ、触れることさえ恐れ多かったその手。今は、ただの粘着質な肉の塊。

「……アレン様」

鈴を転がすような声。けれど、そこには一切の感情がない。絶対零度の響き。

「私は、戻ります」

「おお……! そうか、そうだよな! さあ来い、早く契約を!」

狂喜し、立ち上がろうとするアレン。安堵するリリス。

ヴァリウスだけが、表情を消して背中を見つめている。

両手を広げる。体内に眠る膨大な魔力が、紫色の光となってアトリエを満たす。

それは治癒の光ではない。長年溜め込まれた呪詛と、行き場を失った痛みの奔流。

「契約、再開(リライト)」

唇が動く。光に包まれるアレン。

痛みから解放され、浮かぶ恍惚の表情。

「はは……! 消えた! 痛みが消えたぞ! やっぱりお前は最高の道具だ!」

「いいえ」

にっこりと微笑む。

聖女の慈愛ではない。壊れた硝子が光を反射するような、鋭利で残酷な美しさ。

「私が引き受けるのではありません。貴方が、貴方自身の業を背負うのです」

「……は?」

パリン。何かが割れる音。

次の瞬間、王都の空気を震わせたのは、アレンの絶叫だった。

第5章: 夜明けの金継ぎ

「ぎゃああああああああああッ!!!」

噴き出す黒い煙。

エリアナがしたのは「肩代わり」ではない。「反射」。

ヴァリウスの金継ぎから得た、即興の魔術。

今まで吸収していたダメージ、これから奪おうとする運気。その全てが、行き場を失ってアレン自身の肉体へ還流していく。

「熱い! 痛い! やめろ、やめろぉぉぉ!!」

内側からの熱で融解し、皮膚を焼く白銀の鎧。

悲鳴を上げて逃げ出すリリス。蜘蛛の子を散らすように去る取り巻きたち。

国民を守る? 魔王を倒す?

そんなものは、この男から搾取された「幸運」を返還すれば、名もなき兵士たちが成し遂げること。

のたうち回るかつての英雄。冷めた目で見下ろす。

不思議と、胸の痛みはない。

ただ、長い間背負っていた鉛のような重荷が消え、体が羽のように軽い。

「さようなら、アレン様。貴方の痛みは、貴方だけのものです」

踵を返す。一度も振り返らない。

「……手厳しいな。国一番の英雄を、再起不能の廃人にするとは」

愉快そうに口角を上げるヴァリウス。

歩み寄り、そのインクの染みた手を両手で包み込む。

アレンの泥だらけの手とは違う。薬品と古書の匂いがする、愛しい冷たさ。

「貴方が言ったのですよ。壊れかけこそが美しいと」

「ああ。だが、今の君は壊れかけじゃない」

銀髪を指で梳き、額に落とされる口づけ。

「君は、誰よりも強靭で、黄金に輝く芸術品だ」

東の空が白み始めていた。

王都からは、勇者の失墜を嘆く声と、呪いから解放された人々の安堵の息遣い。

彼女はやがて「冷酷な魔女」として語り継がれることになるのだろう。

だが、そんなことはどうでもよかった。

初めて、誰かのためではなく、自分のために笑った。

その笑顔は、朝日を受けて輝く金継ぎの傷のように、眩しく、誇り高い。

「行きましょう、ヴァリウスさん。世界の果てまで」

二人の影が、朝焼けの荒野へと長く伸び、やがて光の中に溶けて消えた。

クライマックスの情景

AI物語分析

【物語の考察】金継ぎという哲学

本作の核心は、日本の伝統技法「金継ぎ」にある。傷を隠すのではなく、金で装飾し、その歴史ごと美として肯定する。これはエリアナの自己肯定のメタファーだ。アレンが彼女を「無垢であるべき道具」として消費し、傷ついた途端に廃棄したのに対し、ヴァリウスは「傷ついたからこそ美しい」と定義した。この価値観の逆転こそが、彼女を聖女(自己犠牲の奴隷)から魔女(自己決定の主体)へと変貌させた。

【メタファーの解説】呪いの反射

クライマックスの「反射」は、心理学的な「投影」のしっぺ返しを象徴する。アレンは自らの未熟さや痛みをエリアナに投影・転嫁して英雄の座にいた。エリアナがその受け皿を拒否した瞬間、アレンは自分自身の醜悪さと向き合わざるを得なくなる。魔法的な処罰であると同時に、成熟を拒んだ人間への必然的な結末として描かれている。

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