第一章: 銀色の驟雨と透明な少女
地上を穿つ、無数の銀線。
錆びた鉄と濡れた腐葉土の匂いが、廃棄された植物園の空気にこびりついている。
深い灰色の瞳の横を伝い落ちる、冷たい飛沫。
泥と苔で斑模様になった防水コートを羽織り、レイは傘も差さずに立ち尽くしていた。
皮膚を突き刺す、凍えるような冷気。
[Tremble]それでも彼は、逃げない。[/Tremble]
[A:レイ:狂気]「もっと降れ……。雨の音だけが、彼女の悲鳴を近くに感じさせてくれるんだ」[/A]
独り言は、ただ冷たい外気へ溶けていく。
空から降るのは水ではない。他者の「記憶」。
触れれば脳髄を他人の悲哀でドロドロに溶かされる劇物だ。
[Impact]それなのに。[/Impact]
レイは狂ったように顔を上げ、劇薬の雨を全身に浴びていた。失った恋人、シオンの残滓を啜るために。
雷鳴。
重く垂れ込めた雲が、真っ二つに裂ける。
天蓋から、一人の少女が降ってきた。
[FadeIn]透き通るような銀糸の長髪。雨上がりの空を思わせる虹彩の瞳。濡れて肌に張り付く白い薄手のワンピース。[/FadeIn]
裸足のつま先が、シダ植物の上へ音もなく降り立つ。
彼女の肌は雨を弾かない。記憶の劇物が、飢えた獣に喰われるように彼女の身体へと吸い込まれていく。
[A:アイリス:悲しみ]「……悲しい、の?」[/A]
[Tremble]彼女の瞳から、ボロボロと大粒の涙がこぼれ落ちる。自分の頬を爪で掻きむしりながら。[/Tremble]
他者の記憶に脳を焼かれ、ただ血を流しながら泣き続ける透明な少女。
レイの喉が、引き攣ったように鳴る。
[Impact]彼女の震える青白い唇が紡いだのは、微かな歌声。[/Impact]
[Whisper]間違いない。かつてシオンが口ずさんでいた、狂気的なまでの子守唄。[/Whisper]
◇◇◇
第二章: 錆びた世界と芽吹く感情
水没した旧市街。
赤錆に塗れた鉄骨に、青々とした蔦が執拗に絡みつく。ひび割れたアスファルトに描かれる、光の網目。
目指すは、シオンの記憶が最も濃く降り注ぐ「忘れられた庭」。
腐りかけた携帯食料を噛み砕き、金属臭い泥水をすする。舌に纏わりつくのは、濃厚な血と赤錆の味だ。
[Blur]アイリスは歩きながら、降り注ぐ記憶の雨をその身で貪り喰う。[/Blur]
彼女の肌に触れた雨粒は、なぜか浄化され、ただの透き通った水へと還っていく。
[A:アイリス:喜び]「レイ、見て。お花」[/A]
瓦礫の隙間に咲く奇形の花を指差し、アイリスが振り返った。歪で不器用な笑顔。
レイの眉間が、ビクリと痙攣する。
彼女の仕草の端々に、シオンの影を幻視してしまう己の浅ましさ。
その視線に気づいているのかいないのか。アイリスはただ空洞のような瞳で、レイの横顔を見つめ返していた。
夜の廃墟。
凍てつくような隙間風が、二人の間を吹き抜ける。
[A:アイリス:照れ]「泣かないで。あなたの悲しみは、私が全部食べるから」[/A]
[Sensual]
濡れた銀髪がレイの頬に絡みつく。アイリスの細く冷たい指先が、レイの凍えた頬を這うように撫でた。体温を持たないはずの彼女の肌から、微かな熱が伝播してくる。泥と血に汚れたレイのコートの胸元。そこへ、彼女の小さな両手がそっと滑り込み、熱を帯びた吐息が首筋に触れた。
[/Sensual]
[Pulse]ドクン。[/Pulse]
心臓の奥底で、固く結ばれていた結び目が無惨に千切れる音。
目的地は、もう目の前。
腐敗した森を抜けた先。突解として視界が開けた。
[Flash]世界の中心に突き刺さる、巨大な結晶の樹。[/Flash]
その根元で、かつてシオンが身につけていた白衣の切れ端が、幽霊のように風に揺らめいている。
◇◇◇
第三章: 残酷な真実と器の宿命
ガラスの破片のように、空気が鋭い。
息を吸い込むたび、肺腑が切り刻まれ、口内に鉄の味が広がる。
屹立する巨大な結晶の樹。世界中の悲哀と絶望を吸い上げ、[Pulse]ドクン、ドクン[/Pulse]と醜悪に脈打つオブジェ。
アイリスの足取りが、唐突に止まる。
銀糸の髪が不気味な静電気を帯び、蛇のように宙を舞った。
[Tremble]彼女は自らの胸元に爪を立て、皮膚を引き裂くように強く握りしめる。[/Tremble]
[A:アイリス:絶望]「……思い、出した。私が、何というバケモノなのか」[/A]
絞り出すような、細い声。
彼女の正体は「雨の器」。シオンの記憶の大半は、すでにアイリスの核を侵食している。
このまま記憶を完全に再生させれば。
アイリスという人格は完全に上書きされ、灰となって消滅する。
[A:レイ:驚き]「ふざけるな……お前は、それでいいのかよ!」[/A]
怒号が空回りする。奥歯が砕けるほどに噛み締めた。
[A:アイリス:愛情]「あなたが幸せなら、私、喜んでシオンの肉の器になるわ」[/A]
透明すぎる、狂気を孕んだ微笑み。
その瞳からこぼれ落ちた血の涙が、結晶の床をジュワリと溶かす。
[Impact]アイリスの細い腕が、自らの胸の奥深く、心臓めがけて容赦なく突き立てられた。[/Impact]
炸裂する眩い閃光。
上空の雲が黒く濁り、地獄の釜のような渦を巻く。
[Shout]「やめろぉぉっ!!」[/Shout]
絶叫。
しかし、レイの叫びは吹き荒れる暴風雨に瞬時に掻き消された。
空が限界を迎える。
都市を海の底へ叩き沈めるほどの暴力的な大豪雨が、ついにその牙を剥いた。
◇◇◇
第四章: すれ違う思いと決壊する空
暴走する自己犠牲の儀式。
視界を黒く染める土砂降りの雨。肌の肉を削ぎ落とすかのような暴力的な感触。
泥水が気管に流れ込み、じゃりっとした砂の味が口腔を支配する。
レイの膝から泥のように力が抜け、冷たい石畳に無惨に崩れ落ちた。
シオンを取り戻したい。ただそれだけのために、この地獄を這いずってきた。
だが。
今、自分の眼の前で肉体を散らそうとしているのは。
凍えた頬に、確かな熱を与えてくれた少女ではないか。
[Shout]「ふざけるなあっ!!」[/Shout]
[Tremble]レイの拳が、眼前の鋭利な結晶を渾身の力で殴りつける。皮膚が裂け、赤黒い血飛沫が空を舞う。[/Tremble]
骨に響く鮮烈な激痛。
それが、脳内に巣食っていた狂気の霧を晴らしていく。
過去の亡霊にすがりつき、今ここで息をする命を犠牲にするというのか。
[A:シオン:愛情]「大丈夫、止まない雨はないって昔の人が言ってたわ!」[/A]
脳裏を劈く、記憶の残滓。
艶やかな栗色のショートボブ。知的な琥珀色の瞳。翻る白衣の音。
あのシオンが、そんな外道な真似を望むはずがない。
立ち上がるレイ。
泥と血に塗れた重いコートを引きちぎるように脱ぎ捨てた。
嵐の中心。崩壊しつつ光を放つアイリスへ向けて、死に物狂いで地を蹴る。
[A:レイ:怒り]「生きたいなら、俺の手を掴めぇぇぇっ!!」[/A]
荒れ狂う巨大な記憶の津波が、レイの肉体を丸ごと呑み込もうと迫り来る。
[Glitch]網膜が、ノイズまみれの走馬灯で完全に埋め尽くされた。[/Glitch]
◇◇◇
第五章: 涙の跡に咲く花
強引に記憶の奔流を切り裂く。
レイは嵐の目、その中心へと身を投じた。
[Sensual]
細く、今にも折れそうなアイリスの背中に腕を強く回す。彼女の濡れた銀糸が顔に纏わりつき、腐敗した雨の匂いと、むせ返るような花の甘い香りが混ざり合った。震える小さな肩を、レイは自らの骨が軋むほどの力で抱き寄せる。二人の狂った鼓動が重なり、[Pulse]ドクン、ドクン[/Pulse]と破裂しそうな速さで世界の中心に響き渡った。
[A:レイ:愛情]「もう、過去の亡霊の雨には濡れない。俺は、今の君と生きたいんだ」[/A]
[/Sensual]
アイリスの瞳孔が、極限まで大きく見開かれる。
レイは天を仰いだ。
シオンの記憶を求める呪縛を、ここで断ち切る。
代わりに、自らの魂に刻み込まれた「絶望的なまでの喪失の痛み」と「シオンへの狂おしいほどの愛情」。
そのすべてを、暴れ狂う大空へと叩きつけた。
[Magic]《記憶の解放》[/Magic]
視界を白く染め上げる、絶対的な光。
暴走を続けていた記憶の雨が、眩い黄金色の粒子へと変貌し、螺旋を描いて天へと駆け上っていく。
分厚く重い暗雲が、真っ二つに裂けた。
網膜を焼くような圧倒的な陽光。それが、死に絶えた大地を容赦なく照らし出す。
枯れ果てていた「忘れられた庭」。
ひび割れた乾いた土を突き破り、見たこともないほど鮮烈な青い花々が、狂ったように一斉に咲き乱れる。
頬を伝う冷たい雨粒は、もうどこにもない。
アイリスが、ゆっくりと顔を上げた。
彼女の広大な空のような瞳に、初めて彼女自身の意志の光が宿る。
[A:アイリス:愛情]「……レイ」[/A]
青白い唇の端が、柔らかく、確かな弧を描いた。
朽ちていた世界が、静かに息を吹き返していく。