第一章: 海鳴りの底、君という光の残骸
視界を埋め尽くすのは、降り注ぐ星屑のように青く発光する電子珊瑚。
水圧が内臓を締め付け、呼吸音だけがヘルメットの内側に虚しく反響する。
潮風で色褪せた黒髪が額に張り付く不快感。首を振って振り払った。
黒い防水性のダイバースーツの上から羽織った傷だらけの耐圧ジャケット。海流に煽られて重く軋む。
[A:カイ:冷静]「……またハズレか」[/A]
海のように深く淀んだ群青色の双眸。カイは首から下げた錆びた認識票を無意識に指先で弄る。
酸素の供給ケーブルを伝う振動。指先に伝わる圧倒的な冷気。
頭上には、旧世界の残骸である巨大クレーン。海を貫く墓標のように突き出している。
ここは水没した世界。誰も見向きもしないガラクタの眠る、暗い水の底。
瓦礫の隙間から、ひときわ強い蒼光が漏れ出す。
泥を払い、金属板を引き剥がす。
[Impact]息が止まる。[/Impact]
そこに横たわっていたのは、硝子細工のように精巧な、旧世代の少女。
水没を免れた白いワンピースドレスが、水中で花びらのように揺蕩う。
透き通るような銀髪。肌の至る所を這う銀色の電子回路のライン。
彼女の胸元で微かに明滅するコアの光。カイの双眸に焼き付いた。
[A:カイ:驚き]「こんな綺麗な状態で……残ってるはずが」[/A]
[Think]引き揚げるべきか。[/Think]
過去の記憶。波に呑まれた妹の伸ばした手が網膜を焼き、喉の奥に血の鉄の味が込み上げる。
微かに震える指先。強く握り込んだ。
だが、カイの腕はすでに少女の身体を抱え上げている。
◇◇◇
浮上した海上スラム「第8ポンツーン」。
甲板に横たえられた少女の体表から、水滴が弾け飛ぶ。
ジャンクパーツを組み合わせた応急電源を接続した瞬間、[Flash]甲高い起動音が鳴り響いた。[/Flash]
長い睫毛が震え、静かに開かれる。
[FadeIn]データストリームが流れる硝子のような淡い青の瞳。[/FadeIn]
その瞳孔に投射されるのは青空。失われたはずの、抜けるような夏の空。
[A:ルミナ:冷静]「……現在時刻、不明。システム、部分稼働」[/A]
[A:カイ:驚き]「お前、喋れるのか」[/A]
[A:ルミナ:照れ]「カイ、世界はこんなにも綺麗だったのですね」[/A]
彼女がカイの顔を見上げ、潤んだ瞳から青い冷却液を流しながら、ふわりと微笑んだ。
海風が二人の間を通り抜け、鼻腔をくすぐる錆びた鉄の臭気。
凍てついていたカイの時間が、音を立てて動き出す。
だが、この終わった世界には、美しい邂逅を祝福する者などどこにもいない。
[System]警告:未確認モジュールの起動を検知。統括局へのビーコン送信を開始——[/System]
[Impact]ディスプレイに表示された不吉な警告文。カイの眉間が険しく歪む。[/Impact]
第二章: 色彩のノイズとコーヒーの苦味
海上スラムのボロ船。波に揺れる薄暗い船室。
マグカップから立ち昇る白煙。朝の冷たい空気に溶けていく。
カイは手元のコーヒーをすすり、口の中に広がる泥のような苦味を味わった。
[A:ルミナ:喜び]「カイ、空の色が変わりました! 夕焼けの赤、ですね」[/A]
[A:カイ:冷静]「……毎日見てりゃ飽きる。座ってろ、バッテリーが減るだろ」[/A]
[A:ルミナ:興奮]「ですが、この『雨の匂い』も素晴らしいです。私のデータベースにはない情報ばかりで……!」[/A]
銀色の髪を揺らし、窓ガラスに張り付くルミナ。
機械であるはずの彼女は、世界の一切に新鮮な驚きを見出している。
カイは視線を逸らし、手元のガラクタの修理に没頭するふりをした。
深く関われば、また失う。その恐怖が、指先の微細な震えとなって現れる。
[A:ナギ:怒り]「ちょっとカイ! あんたまた配線適当に繋いだだろ!」[/A]
勢いよくキャビンの扉が開き、飛び込んでくるオレンジ色のショートヘア。
オイルで汚れたオーバーオールに、頭に乗せた防風ゴーグル。
彼女はカイの頭を軽く小突くと、ルミナを見て目を丸くした。
[A:ナギ:驚き]「……マジで旧世界のAI直したわけ? あんたの背中は、私が一番よく知ってんのに、これは予想外」[/A]
[A:カイ:冷静]「ただのガラクタだ。部品取りにでもするさ」[/A]
[A:ナギ:悲しみ]「ふーん。ならなんで、そんな大事そうに毛布なんか掛けてんのよ」[/A]
[Sensual]
ナギが去った後。
不意にルミナがカイの傍に寄り、その細い指先でカイの頬に触れる。
「あ……」
指先が凍りつくような冷たさ。だが、その底に確かな熱。
[A:ルミナ:照れ]「カイの心拍数が上昇しています。体調不良、ですか?」[/A]
[A:カイ:照れ]「違う。……急に触るな」[/A]
顔を背けるカイの首筋。ルミナの吐息が微かに触れた。
[/Sensual]
穏やかな時間。
しかし、[Glitch]ガガッ……ピーーー![/Glitch]
突然、大きく跳ねるルミナの身体。
彼女の瞳の青が明滅し、目尻から青い光の粒子。データが涙のように零れ落ちる。
[A:カイ:恐怖]「ルミナ! おい、どうした!」[/A]
[A:ルミナ:悲しみ]「ごめんなさい、私の中のノイズが……カイが、傷つく……」[/A]
細い肩を抱き寄せる。
だが、その時。
船の周囲を包み込んだのは、無数の赤いサーチライト。
けたたましいローター音。波の音を掻き消していく。
[Impact]武装ドローン部隊による、完全な包囲網。[/Impact]
第三章: 深海の断頭台
「システムに例外は許されない。世界を存続させるためにはな」
静まり返る甲板に響く、軍靴の足音。
銀縁の細い眼鏡、オールバックにした白混じりの金髪。
洗練された白と灰色の統括官制服を隙なく着こなしたヴィクトル。冷たい三白眼で二人を見下ろす。
雨が降り始め、雨音に混じる火薬の匂いがカイの鼻腔を突く。
[A:カイ:怒り]「こいつは俺の獲物だ。ネオ・アークの犬に引き渡す筋合いはない」[/A]
[A:ヴィクトル:冷静]「無知とは幸福なものだ。その『部品』が何なのかも知らずに」[/A]
ヴィクトルが指を鳴らすと、空中に展開される巨大なホログラムモニター。
そこに映し出されたのは、真っ赤に染まった深海の巨大環境AIコアの映像。
[A:ヴィクトル:冷静]「それは人類の生存圏を維持するコアから切り離された『感情モジュール』。言うなればエラーだ。彼女が欠落していることで、コアは暴走を始めている」[/A]
[A:ルミナ:絶望]「私が……バグ……?」[/A]
[A:ヴィクトル:冷静]「そうだ。君をコアに再接続し、完全フォーマットを行わなければ、海上都市は沈む」[/A]
[Impact]完全フォーマット。[/Impact]
それはすなわち、ルミナの『個』と、カイと過ごした記憶の完全消滅。
カイは拳を握り締め、ヴィクトルを睨みつける。
爪が手のひらに食い込み、滲み出す生暖かい血。
ボタボタと甲板に血を落としながら、カイは嗤った。
[A:カイ:狂気]「ふざけるな! こいつはただの機械じゃない。笑って、空を見て……!」[/A]
[A:ヴィクトル:狂気]「感情など不要なバグに過ぎん! かつてそれで私が何を失ったと——」[/A]
一瞬、ヴィクトルの顔に過る過去の亡霊。
だが、すぐに無機質な表情へと戻る。
[A:ルミナ:悲しみ]「カイ、やめてください」[/A]
振り返ると、静かに立ち上がっていたルミナ。
銀色の回路が赤く点滅し、彼女の存在そのものが異常な熱を帯びる。
[Tremble]カイの全身が、嫌な予感に震えた。[/Tremble]
[A:ルミナ:冷静]「……あなたと過ごした時間は、すべてプログラムされた擬似感情でした。私に『心』などありません」[/A]
[A:カイ:驚き]「お前……何を言って……」[/A]
初めての、そして致命的な嘘。
ルミナは真っ直ぐにヴィクトルへ歩み寄り、両手を差し出す。
[A:ルミナ:冷静]「回収を、許可します」[/A]
火を噴く防衛用スタンガン。
意識が遠のく中、カイの網膜に焼き付いたのは、微笑む彼女の口の動き。
『さようなら』
雨粒がアスファルトを叩き、世界のすべてが黒く塗り潰された。
第四章: 致命的な嘘、奪還のダイブ
目覚めた時、空を覆うのは厚い鉛色の雲。
床に転がった空のマグカップ。
もう誰も「コーヒーが苦い」と笑うことはない。
カイは膝から力が抜け、冷たい鉄の床に崩れ落ちる。
喉の奥で詰まった嗚咽。声にならずに漏れた。
[A:カイ:絶望]「俺は、また……何も……」[/A]
自分はもう誰も愛さない。愛する資格もない。
そう言い聞かせてきた嘘が、今はただひたすらに重くのしかかる。
[Impact]ゴシャッ![/Impact]
鈍い衝撃とともに、カイの頬が床に叩きつけられる。
口の中に広がる血の鉄の味。
[A:ナギ:怒り]「情けない顔してんじゃないわよ!」[/A]
[A:カイ:驚き]「ナギ……」[/A]
[A:ナギ:悲しみ]「あんたの背中は私が一番よく知ってんの。嘘ついてるのも、全部お見通しだっつーの」[/A]
ナギは息を荒らげ、拳を震わせる。
雨風に煽られて乱れる、オレンジ色の髪。
彼女は自らの拳から滴る血を舐めとり、カイの胸倉を掴み上げた。
[A:ナギ:怒り]「あの子が嘘ついたことくらい、あんただって分かってたはずでしょ! なんで追いかけないの!」[/A]
カイの脳天を貫く、ナギの言葉。
そうだ。彼女の震える指先。泣き出しそうな笑顔。
それがプログラムであるはずがない。
[A:カイ:冷静]「……深海AIコアまでの潜水ルートは」[/A]
[A:ナギ:喜び]「バッチリ解析済み。ヴィクトルの防衛網の隙間を縫うルートもある」[/A]
[A:カイ:興奮]「ナギ、船を出せ」[/A]
耐圧ジャケットを羽織り、深く息を吸い込む。
[Pulse]心臓の鼓動が、全身の血を沸騰させる。[/Pulse]
ネオ・アークの防衛システムを敵に回す。
それは世界の崩壊を意味するかもしれない。
だが、構わない。
[A:カイ:怒り]「ルミナの『心』は、俺が奪い返す」[/A]
黒いダイバースーツの装甲板が上げる軋み。
荒れ狂う海へ。暴走する深海の底へ。
始まる単独潜行のカウントダウン。
[System]深度3000メートル。水圧限界突破。対空・対潜防衛網、起動——[/System]
海鳴りとともにカイへと迫る、無数の魚雷の航跡。
第五章: 恵みの雨
水圧と防衛システムが牙を剥く深海の最深部。
赤い警告光が明滅する巨大AIコアの中心。磔にされるルミナ。
その半身はすでにシステムと融合し、不気味に脈打つ銀色の回路。
[Glitch]記憶データ、消去率89%……90%……[/Glitch]
[A:カイ:絶望]「ルミナぁぁぁッ!!」[/A]
[Shout]剥き出しの叫び。[/Shout]
迎撃ドローンの攻撃を掻い潜り、カイは強引にコアの中枢へと飛び込む。
装甲が弾け飛び、左肩から噴き出す血。
痛覚はとうの昔に麻痺している。
[A:ルミナ:恐怖]「カ……イ……? ダメ、来ないで……世界を、救って……」[/A]
ノイズ混じりの声。
彼女の硝子の瞳から、止めどなく溢れる青い光の粒子。
[A:カイ:愛情]「君のいない世界など要らない!」[/A]
[Sensual]
カイは血塗れの腕で、システムに呑まれかけるルミナの身体を強く抱きしめる。
冷たい機械の肌。だが、そこには確かな鼓動。
[A:ルミナ:悲しみ]「私……カイと、ずっと……」[/A]
ルミナの震える唇に重なる、カイの唇。
塩気と血の味、そしてコーヒーの微かな苦味が混ざり合った。
[/Sensual]
[Flash]臨界点突破。[/Flash]
二人の感情が共鳴し、光の奔流となって海中を満たす蓄積されたデータ。
視界を覆い尽くすほどの、圧倒的な青。
満開の桜のように舞い散る電子珊瑚が、深海の闇を切り裂く。
[A:ルミナ:喜び]「カイ、ありがとう。……大好き、です」[/A]
[FadeIn]光の粒子となってシステムに溶けるルミナの個体。[/FadeIn]
腕の中にあった重さが消え、代わりにカイを包み込む温かな光。
彼女の無償の愛が、暴走するAIコアのコードを優しく書き換える。
[A:ヴィクトル:驚き]「バグが……システムを、進化させる……?」[/A]
モニター越しに崩れ落ちるヴィクトル。
彼は自らの両目を指でえぐらんばかりに見開き、狂気の笑い声を上げた。
◇◇◇
海面へと浮上したカイの頬に落ちる、冷たい水滴。
見上げれば、雲の切れ間から差し込む一筋の陽光。世界中の空から静かに降り注ぐ「恵みの雨」。
雨粒がアスファルトや海面を叩き、七色の光を乱反射させる。
[A:ナギ:悲しみ]「カイ……」[/A]
駆け寄るナギの肩越しに、カイは広大な海を見つめる。
胸の奥で、静かに脈打つ決して消えない温もり。
彼女は消えたのではない。この世界の空に、雨に、光に溶け込んでいる。
[A:カイ:冷静]「……綺麗だな、ルミナ」[/A]
海鳴りの底から響くかすかな光の残骸を胸に、歩き出すカイ。
光の降る、この世界を生き抜くために。
雨上がりの風が運んでくるのは、潮の匂いと、かすかなコーヒーの香り。