午前零時のアトラクション

午前零時のアトラクション

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「じゃ、健太、よろしくな!」
友人の無責任なエールを背に、俺は錆びついた鉄柵を乗り越えた。罰ゲームで、閉園した遊園地『ドリームランド』に午前零時から一時間滞在する。馬鹿げている。そう思いながら懐中電灯のスイッチを入れた瞬間だった。

――パァン!

乾いた音と共に、園内すべてのネオンが一斉に灯った。陽気なマーチングバンドの音楽がスピーカーから流れ出し、まるで開園を告げるかのように、目の前のメリーゴーラウンドがゆっくりと回り始める。
「……は?」
状況が飲み込めない。廃墟のはずじゃなかったのか?
しかし、その光景はどこか歪んでいた。メリーゴーラウンドの白馬たちの目は不気味な赤色に爛々と輝き、コーヒーカップは血をぶちまけたような赤黒い液体を撒き散らしながら回転している。そして、遠くの暗闇から、何かがこちらへやってくる。

カツン、カツン、と奇妙な足音。現れたのは、派手な衣装をまとったピエロだった。しかし、その動きは人間離れしていた。関節がないかのように体をくねらせ、顔は笑顔のマスクで固定されているのに、その奥の闇からは底知れない悪意が漏れ出ている。
「ヒッ……!」
俺は悲鳴を飲み込み、反射的に駆け出した。背後から「アハハ、アハハハ!」と甲高い笑い声と、異常な速度で追いかけてくる足音が聞こえる。

夢中で逃げ込んだのは、古びた『案内所』だった。カウンターの上に、ぽつんと一枚の紙切れが置かれている。震える手でそれを掴んだ。

『真夜中のゲスト様へ! 当園へようこそ!
朝が来るまでに『三つの涙』を集め、出口の観覧車にお乗りください。
ただし、我々『ピエポーター』に見つかれば、君も新しいアトラクションの一部。
幸運を祈る!』

「……なんだよ、これ」
冗談じゃない。これは、ただの肝試しじゃない。命懸けの脱出ゲームだ。
窓の外を見ると、さっきのピエロが案内所の周りをうろついている。ピエポーター……そういう名前なのか。

やるしかない。恐怖で凍りつきそうな心を、無理やり奮い立たせた。

最初に向かったのは『お化け屋敷』。中から聞こえるのは、録音された悲鳴ではなく、本物の少女の嗚咽だった。暗闇の中、俺は泣き声の主を探す。そこにいたのは、半透明の少女の霊だった。
「……わたしの、お人形……」
少女が指さす先、ギロチンの刃が振り下ろされるギミックの真下に、ボロボロの布人形が落ちていた。ピエポーターが屋敷の入り口をこじ開けようとする音が響く中、俺はタイミングを見計らってギロチンの下に滑り込み、人形を掴んで戻った。
少女に人形を手渡すと、彼女はにこりと微笑み、その姿が光の粒になって消えた。後には、青く輝く『悲しみの涙』と呼ばれる宝石が一つ残されていた。

次なる舞台は『ミラーハウス』。中に入った途端、四方八方が自分の姿と、そして無数のピエポーターの姿で埋め尽くされた。どれが本物で、どれが虚像か分からない。パニックになりかけた俺は、ふと気づいた。鏡に映るピエポーターは皆、気味の悪い笑顔を浮かべている。だが、一つだけ。たった一つだけ、真顔でこちらを見つめるピエロの像があった。
「こいつだ!」
俺は近くにあった消火器を掴むと、その鏡に全力で叩きつけた。けたたましい音と共に鏡が砕け散り、その破片の中から、黄色く輝く『笑いの涙』が転がり出た。

残るは一つ。案内所の地図によると、最後の涙は『メリーゴーラウンド』にあるらしい。だが、そこには十体以上のピエポーターが集結し、まるでボスのように中央で待ち構えていた。
俺が近づくと、ピエポーターたちは一斉にメリーゴーラウンドを動かし始めた。それは尋常じゃない速度で回転し、風圧だけで立っているのがやっとだ。
「どうしろって言うんだ……!」
その時、高速で目の前を通り過ぎる馬の一体、その黄金のたてがみに、赤く輝く何かが埋め込まれているのが見えた。あれが『喜びの涙』だ。
覚悟を決めた。助走をつけ、タイミングを合わせ、回転する床へと飛び乗る。遠心力に体が吹き飛ばされそうになるのを必死にこらえ、目当ての馬にしがみついた。ピエポーターたちが妨害しようと物を投げつけてくる。それを避け、たてがみに手を伸ばし、力ずくで『喜びの涙』を引き剥がした。

三つの涙が、ポケットの中で確かに熱を帯びている。
「出口は……観覧車!」
俺はメリーゴーラウンドから飛び降りると、最後の力を振り絞って走り出した。背後から、園内の全てのピエポーターが地鳴りのような足音を立てて追いかけてくる。
観覧車のゴンドラに飛び込み、内側からロックをかけた直後、ドアに無数の手が叩きつけられた。ガンガンと揺さぶられるゴンドラ。俺は中央にある窪みに、三色の涙をはめ込んだ。

カチリ、と音がして、世界が光に包まれた。
観覧車が、静かに上昇を始める。窓の外では、ピエポーターたちが動きを止め、まるで別れを惜しむかのように、こちらに手を振っていた。
頂上に着く頃、東の空が白み始め、最初の朝日が差し込んだ。その光が園内を照らした瞬間、ピエポーターたちの姿も、不気味なアトラクションも、幻のように掻き消えていった。

地上に降り立った時、そこにはただ静かで、薄汚れた廃遊園地が広がっているだけだった。全ては悪夢だったのか。
俺は力なくその場に座り込んだ。朝日が暖かい。
ふと、ポケットに硬い感触があるのに気づいた。取り出してみると、それは記念品のように美しく輝く、小さな涙の形のガラス玉だった。

「もう二度とごめんだ」
そう呟いた俺の口元には、恐怖とは違う、とてつもない冒険をやり遂げた者だけが浮かべる、興奮の笑みが浮かんでいた。

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